私、水無月生(みなづきお)パソコンとの出会いから現在に至るまでのパソコンライフを披露いたします
時間に余裕のある方、関心をもたれた方は、どうか冷やかしと拾い読みで結構ですので、
この“じいさん”どんなことをしていたのかな・・・と、ご覧いただければと思います

パソコンを横目で眺めていた時期  ・・・【1980〜1993年】
パソコンといえるものに最初に身近に感じたのはいつ頃になるだろうか。
勤務先でのそれまでのコンピュータは大きなシステムで、プログラミング言語は「コボル」とか「アセンブラ」とかいうものでプログラムの専門知識のある者がシステムを構築して、入力は女子社員が規則的にキーボードをたたいていた状況だった。まだまだ、私には他人事に見えていた
やがてその後になって、パソコンという呼び名が現れて、「ベーシック」を言語として作成したプログラムを使って手軽に簡単なデータ処理ができるということで、職場内ではより身近な存在になってきた。ちょっとその気になったら私でも出来そうな気がしたが、それでもまだまだ興味を持つまでには至っていなかった。1980年ごろ(私の年令は40歳過ぎ)のような気がする。職場内では昼休みにはこのパソコンを使ったゲームに興じるのが散見するようになった
また少し下って1982年ごろになると、「MSX」という機種のゲーム専用のパソコン現れて、わが息子も中学生になり買わされる羽目になった。我が家に初めてのパソコン登場である。息子はゲームに夢中であったが、私はちょっと垣間見る程度。そして、中学卒業時にはシャープの「ターボX」というより進化したパソコンを30数万円で買わされた。でもこれもベーシックを言語とするもので、息子はもっぱらゲームに興じていた
相前後して、この頃からワープロが一段と普及して来た。そろそろこの世界に何らかの関わりを持たないと、時代の波に乗っていけないなーと感じだしたのは1987年ごろになる。しかし、キーボードのひらがなの入力操作にはちょっとした戸惑いを感じていたところ、職場の女子社員の一人がローマ字入力ならキーの数は25ヶなので簡単だよと教えてくれ、それ以降はローマ字入力で気軽に扱えるようになった。私の年令は48歳になっていた
1989年3月、カシオのワープロ購入。12万円也。但し、勤務先の通信教育補助を受けて、実質負担は4万円也。公民館サークル活動の資料作りや同窓会の案内等々有効活用の範囲は多々あって重宝していた
1993年ころになり、職場にはいよいよ現在のパソコンの原型に相当するWindows3.1が登場。でもまだ私にはちょっと手が出なかった。仕事ではシャープのワープロ「書院」が極めて高性能な漢字変換能力を発揮していたせいでもある。まだ私には、パソコンの便利さを享受する操作能力に乏しかったともいえる
パソコンとの出会い   ・・・【1993〜1995年】
いよいよパソコンに面と向かって出会える日が訪れてきた。1995年夏ごろのこと、何気なく職場内のWindows3.1のパソコンを冷やかしで触ってみた。「Word」の文字入力と漢字変換は今まで使っているワープロとさほど異なるものでなかった。しかし、ツールバーやメニューバーの使い方がいまひとつ理解ができずに、まあそんなものかで打ち切り。合わせて、マウスのダブルクリックでも一苦労だった。年令は56歳になっていた
数週間後、今度はもっと気を入れてということで、「一太郎」の入っているパソコンで文書作成に挑戦。艱難辛苦の末、何とかものになった。しかし、保存操作は全く出来ずじまい
その後は、困ったときには操作のよくわかる社員に質疑を行いながら教えを乞い、少しずつ扱えるようになってきた
このようなことをしているうち、「一太郎」での操作に慣れてきた関係もありパソコンのワープロは「一太郎」をもっぱら扱うようになった
1995年秋のこと、巷ではwindows95発売が大きな話題になっている。いよいよその気になってパソコンを購入しようと決意。しかし、値段は結構高額だが、意を決して年末のボーナスをつぎ込むことにした。12月下旬富士通のFMV/DeskpowerとEpsonのプリンターを注文。しめて35万円也
パソコン使い始め   ・・・【1996年】
1995年12月30日、待ちに待ったパソコン到着。予定より2日遅れ。3日前に中部地方は大雪で、三重県地方の交通網は寸断されたせいだ。はやる気持ちで開梱。膨大な説明書をひとまず整理してどれから読もうかと思案投げ首。この日はハードは並べておくだけだった。(この頃のパソコンの取説の量の多さは格別)
パソコン仕様
 ・本体:富士通FMV/Deskpower FMV-5120D5 CPU:Pentium-120MHz メモリ:16MB HDD:850MB
      ワープロと表計算ソフト:一太郎とLotus123
 ・プリンター:Epson カラリオMJ-800C
 いずれも当時では高性能規格品(いまパソコンから思えば玩具にもならない代物)
お正月は取説と首っ引きでハードの初期設定と立ち上げ、プリンタードライバーインストール。当時は大変な手数を要した。丸1日かけてやっとセットアップ完了
年令は56歳半ば、いよいよ『パソコンライフ』の始まりとなった
以来、「一太郎」と「ロータス」が私のパソコン操作のメインソフトとして活躍してくれた
半年後(1996年夏ごろ)になって勤務先では、パソコンを1台/一人の計画が始まった。私にもまず1台が割り当てられた。しかし、ワープロと表計算は「Word」、「Excel」であった。一太郎で慣れてきた関係でWordの日本語変換機能「MS-IME」には馴染めにくく、自分のパソコンは一太郎用の日本語変換機能「Atok」に設定変更して使うことにした
その後、後述する時機までは職場ではWord・Excel/Atokの組合せ、家での操作では一太郎・ロータス/Atokの組合せという、操作環境が続くことになる
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パソコンライフ(その1)/興味をもって挑戦の時期(windows95編)・・・【1996〜2000年】
パソコンを始めるなら当然「インターネット」と「パソコン通信」との考え方を持っていたので、パソコン購入時には内蔵可能な「モデムカード」を購入しておいた。通信速度は当時では最大規格の28,800bps
【ちょっと注釈】パソコン通信とは、この頃はプロバイダーに加入しているもの同士がお互いにメール交換できるシステムとなっていた。また、このシステム内には趣味や興味のあるテーマーでのグループであるいくつかのフォーラムがつくられていて、今の掲示板よりももっと身近に親密な関係でお互いの情報交換をしていた
1996年春、プロバイダー:People に加入。パソコン通信開始。しかし、接続環境はアナログ電話回線で2,400bps。メールの送受信はこれでもまあまあだったが、インターネットはゆっくりしたもの。でも、当時はそれでもつながって見られるだけで満足という状況だった
通信料金に泣く日が続きました。Peopleのアクセスポイントは三重県の津市。この頃の市外通話料金は結構高く、1分毎に加算だから、あーっという間に数千円になってしまった
1996年12月、プロバイダーを「Nifty」に変更。Niftyのアクセスポイントが名張に開設されたのがその理由。やっと市外料金から開放された。でも、接続環境は2,400bpsのままなれど、全て満足というところでした。(これ以来プロバイダーはNiftyを現在までまもり通している)
1999年3月、アナログ回線のモデムを56KBに取替え。回線スピードは目をみはる感じに改善され快適さは抜群という状況だった
ハードのグレードアップに挑戦開始。少しでもパソコンの性能を良くしたい、操作環境を快適にしたいというのは、パソコンユーザーにとって当然の願望だと思います。ご他聞に漏れず、私も同じ願望を満足させようと無鉄砲にも挑戦してきた。以下、このWindows95パソコンで行ってきたその状況を羅列します
(1)メモリ増設 オリジナルの16MBに32MBを増設。合計48MB(1997/02)この作業、なんら苦労がないのが実感できた
(2)メモリ増設 味を占めて今度は64MBを増設。合計32+64=96MB(1999/03)
(3)HDD増設 オリジナルの850MBでは何かにつけて不便をきたしていた。現在の感覚からでは、なんともこっけいな話。3200MBを増設。合計4GBになった(1998/06)。当時としては世間並みになった感じ
(4)CPU交換 オリジナルの120MHz → 366MHzのものに交換(1999/04)。この頃はCPUを交換して性能アップがはやっていた。話題に乗って挑戦した。交換後ドライバーインストールとBIOS設定変更等があり、何せ未知の分野への挑戦でありちょっと戸惑いながらの作業だったが、何とかものにできた
(5)CD-Rドライブに交換 オリジナルCD-ROMドライブ → CD-Rに交換(2000/09)。HDD容量不足を嘆いていたこのとき、退職記念にCD-Rドライブをもらった。グッドタイミングでこんな嬉しいことはなかった
周辺機器では
(1)スキャナー購入 1999/05 Canonのフラットベースタイプを設置。写真、その他いろんな資料のPC取り込みの楽しみがこの時期より始まりとなった
(2)デジカメ購入 1999/12 Casio・131万画素デジカメをフォトプリンター付で購入 47,800円。すぐその後にフラッシュメモリ・ACアダプター等のパーツを追加 26,000円。このデジカメは、2005/02まで愛用した
(2005/04 Yahooオークションで売却、2,700円で落札された)
このようなことで、ハードの改善で少しはパソコン通ぶったことをしてきたが、操作技能の方はたいしたことなかった。曲がりなりにもワープロはWordと一太郎の両刀使いで通常文書と表作成、写真・イラスト貼付程度。ExcelとLotus123では表作成程度で、計算式は四則演算の域は超えていなかった
そんなこんなで2000年夏に仕事は現役引退。61歳だった。パソコンに関しては、ハードについては人並みよりチョット知っている振りをしていたが、ソフトの操作については、まあまあ、通常一般のパソコンユーザより少し下のレベルだっただろうかとの自己評価です
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パソコンライフ(その2)/インターネットを楽しむ(windows98編)・・・【2001〜2003年】
2000年12月、Windows98SE搭載のパソコン購入。WindowsMeが発売された時期だったので格安で買うことができた。Fuji ZROXのプリンターとセットで\188790。おまけにWindowsMeバージョンアップ版も付属していた(Meは不具合が多いとのうわさだったのでインストールはやらずじまい)
(パソコン仕様)
 ・本体:富士通FMV/Deskpower M4-707 CPU:AMD Athlon 700MHz メモリ:64MB HDD:40MB
      ワープロと表計算ソフト:Microsoft Office2000
 ・プリンター:Fuji ZEROX Jet Wind 600C
ワープロと表計算ソフトは、さっそく「一太郎」と「Lotus123」をインストールしたのは勿論のことでした
Win95と新しく買ったWin98パソコンを2台並べて、それぞれを使い分けての使用が始まった。2001年3月になったとき、森首相のIT時代施策で市の「IT講座」が始まり、わが妻も受講することになった。旧パソコンWin95は妻の練習用機として活躍することにもなった
この時期、インターネットの接続環境はまだアナログ回線が続いていた。新旧パソコンを並べて電話回線を切替ながらの接続という使い方だった。まだ、Hab切替とか家庭内LANの構築までには至らなかった
・メモリ増設(1) 2001/04 購入当初から気に入らなかったメモリを【64MB+128MB=192MB】に増強
  ・メモリ増設(2) 2003/05 2回目のメモリ増強。【256MB+256MB=512MB】
2001/09 名張桔梗が丘地区にADSL回線が開通。さっそく「フレッツADSL/1.5bps」を申し込みをした
 ・パソコンにLANボードを取り付け、回線工事を待つこと2.5週間、09/23回線工事完了
 ・即日、設定作業を終えてブロードバンドのスピードの速さを体感。大満足だった
 ・線路条件を確認。 (線路距離長:1,300m、伝送損出:20db)だった
 ・回線スピードは概ね0.8Mbpsを得ることができた
 (ADSL回線接続でWin95機はインターネット接続から引退させ、単なるワープロ専用機並みのオフラインマシンに格下げとなった)
ADSLを12Mbpsへ更新。2003/03 今度はフレッツモア回線が名張桔梗が丘地区で開通したので申込。工事待ち2週間で工事完了
 ・回線スピードは体感的には速くなったかなと思ったが、目を見張るというところまでは感じられなかった
 ・スピード測定では、約3Mbpsという程度で回線の調子のいいときは6Mbpsがでるときもあった。
  まあこれなら十分に満足というところだろうか
 ・その後、2004/01 IP電話付モデムに交換してADSLとセットで利用始める(電話料金節約を図った)
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パソコンライフ(その3)/インストラクターをめざして(windows98編)・・・【2002〜2003年】
この時期の記事としては時間的経過は相前後するが、2002年6月第二の勤めの会社を退職。第二現役も引退して歳は63歳。いよいよ収入は年金のみの本格的な年金生活に入いることになった
これからの人生を考えるとき、趣味の世界でのんびり過すか、それとも今までの得てきたもの、あるいは趣味を生かした何かを活用できるものはないか、その中でライフワークになるものはないだろうかと思いをめぐらしていた。そのときに、たまたまWebsiteで見つけたのが(株)富士通ラーニングメディアが実施している、シニア向けのパソコン指導者を認定する『シニアITアドバイザー(SITA)』認定試験だった。
 自分のパソコン知識がどの程度のものかを知ることと、場合によってはパソコンを更に勉強することでこれからの人生に役立つことになならないか、更には、パソコン指導者としてのライフワークを持つことで現役を離れてからも何らかの形で社会参加と貢献をしていけるのではないだろうかと、思いはどんどん広がっていった
パソコン操作では、ワープロ/表計算は2年前とさほど変わらない初心者に毛が生えた程度、インターネット操作も一般ユーザーの域を超えない、知識も並のちょっと上かなというようなパソコン能力であったが、まあ、実力を知ることもよかろうと、ネット上での3級資格お試し模擬試験に兆戦してみた。結果は60点。これならちょっと頑張って本気になって勉強してみようという気になった
試験制度を調べていくうち、どうせ資格を取るならインストラクターとして認められる「1級」を目標にすべしと考えがかたまり、まずは「2級」から始めることにした
ここでチョット困ったことがあった。SITA認定試験の出題基準となるパソコン環境は「Windows98&Office2000」ということになっていたことだ。いままで「一太郎/ATOK」で操作していた私の操作環境をこの試験を受けるためには、「Word・Excel/MS-IME」に変更しなければならないことだった。しかし、世間の趨勢は「Word・Excel/MS-IME」の操作環境になっているのだから、これは当然のことと納得し、私のパソコン操作環境はこの時期を境として「Word・Excel/MS-IME」へと切り替えることになった。「一太郎さん,ロータスさん」さらばである
次の2級の試験は2002/08。あと3月しかない状況の中から猛勉強が始まった。参考書とインターネットの世界からの知識取得。毎日、朝から晩までそれこそ受験生の勉強の姿そのものだった…といったら大げさだろうか。
しかし、インストラクターたるや、知識のみではないことが試験基準で示されている。インストラクション、つまり、いかに分かりやすく指導するかの「インストラクション技術」が要求されるのだった。おまけにこの資格は、シニアを対象としたパソコン指導者。ITに関して全く無知なシニアの方々にいかにわかりやすく理解をしていただくかの指導ができるかを問われることになっている
2002/07 「SITA2級」の1次試験をオンラインで受験。即結果判明で96点で合格。
2002/08/24 「SITA2級」2次試験受験。大阪・江坂の試験会場で、Word/Excelの実技操作試験、与えられたパソコン用語の問題を3分内に模擬講座をする試験と、その関連質疑応答試験、それから、PCの前で操作に困っている受講者に対して分かりやすく解説とアドバイスをすることがインストラクション審査。それぞれの試験だったが、無事めでたく合格!!!
次なるは、「SITA1級」が所期の目標。試験日は2003/02。じっくり取り組めそうに思えたので、今度はゆとりをもって再び勉強開始
2002/11/30 受験申込み、12/10 オンラインで「SITA1級」1次試験受験。88点で合格。危ないところだった。やはり1級は難しい、なめてかかるといけないなと首をさすりながら痛感した
次は2次試験の「事前課題(小論文)」で、与えられたテーマについて作成して2次試験前日までに提出
2003/02/21 「SITA1級」2次試験受験。今度は名古屋の試験会場が指定された。実技操作試験は当然2級よりレベルの高いWord/Excel。インストラクションは指定教材内の中から指示された講義テーマを10分間の模擬講義する試験。その後、5分間の関連質疑応答試験。インストラクション審査は、仕事のときのプレゼンテーションと違って、うら若い30代か40代女性の試験官の前でやるのはけっこう緊張するものだった。一緒に受験した方々も50代以上の方ばかりだが、説明が長くなり過ぎて時間内に終えることができなかったり、トチッテしまってこれも時間オーバーとなったりが見受けられた。
お陰さまで、1ヶ月後無事『シニアITアドバイザー(SITA)1級認定証書』が送られてきた!!!。やれやれこれで一段落、大きな仕事をやり終えた満足感を味わうことができた。こういう経験は幾つになっても心地良いものですね
第二の人生、私にとってはいよいよ「人生これから本番」の一つが具体化して始まった
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パソコンライフ(その4)/インストラクター活動が始まる(windowsXP編)・・・【2003〜2004年】
2003年3月のこと、インストラクターの資格を取得したが、ではどのように活動を展開していけばいいのだろうか、昨年2級を取得後より友人知人からの簡単なサポート依頼がたまに入ってきていた。しかし、それはスポット的なものであるのには変わりがない。継続的なパソコン指導の活動に結びつく手がかりをつかまなければならないと考えていた
2003/03は全国の自治体が行っていたIT講座は一段落した段階だったが、名張市のIT講座のボランティア講師の道はないか、それとも市教育委員会でなにか講座の計画がないか、と問合せをしたが全くそのような気配はなく色よい返事を得られることはなかった。
 ではということで、市の高齢者福祉施設でのパソコン教室や、市IT講座終了後にその講師連中の融資で始まった各地区公民館でのITサークル活動の代表者などにボランティア講師の申し出をしてみたが、これも既に講師陣が固まっているので新参者の受入れ余地はなかった
いずれにしても、パソコン指導活動はボランティアで行うつもりでいたので、展開を図っていくためには、それなりに構図を描かなければならないという考えに至り、活動の手がかりは自分の力で切り開いていこうということに帰結した。そういうことで、既存組織への働きかけはやめることにして、まずは実績作りからとの考えでもって、個人指導に傾注して口コミ評判を得るための活動を推進していくことで意思が固まった
ちょうど相前後してこの時期に、名古屋地区でSITA有資格者で構成する活動組織を結成するという案内が、東京のSITA事務局から案内が入っていた。1級を取得したので、まずこの会に入会することで活動の参考となる何かの手がかりが得らればという気持ちで参加することにした。2003/04/13「サイタネッット中部の会(こののち「サイタネット東海」に改称)」発足会へ出席、先輩インストラクターの活動状況を拝聴し、そのすばらしさにただただ感服・感嘆するのみだった
2003/04 身近な人への個人レッスン開始。合わせてシニアに特化したボランティアパソコン指導を行っている旨の案内パンフレットを作成し、友人・知人・ご近所の方たちへ配付してそれなりの宣伝を行っていった。
 少しずつではあったが、口コミによって一人二人と受講申し込みが入るようになった。また、高齢者への給食活動をしているボランティア組織からは活動実績の集計処理をExcelでのシステム構築の依頼も入ってきた。これは、私にとってパソコン指導というよりもシステム設計に相当するものであり、別の意味で興味深く取り組することができたことを喜んでいる(本件は、現在までもシステムのメンテナンスを含めて関わりを継続している)
口コミ評判による受講者は次第に増加を続け、1年後の2004/03には10名を超え状況になってきた。そういう中で、2004/07にはボランティアによるパソコン指導をしていることが、名張市・伊賀市両地区で発行しているミニコミ誌「YOU」のシリーズ記事『私の定年後』に掲載された。
 また、2004/09には三重県社会福祉協議会・伊賀地区情報誌「伊賀び〜と」のシリーズ記事『伊賀人見つけた!』にも活動紹介記事が掲載された。
2004/10には名張市内にある「精神障害者生活支援センター」からのパソコン指導依頼が入ってきた。支援センターへ通所する精神障害者の生活指導等の一環として施設内でパソコン指導が始まった
2003年はパソコン環境も次第にWindowsXPのシェアーが拡がってきた。私のメイン機種はWindows98・Office2000のまま、受講者のパソコンもWindowsXP・Office2003へと進んできていた。やはり細かいところの違いに対応する必要に迫られてきた。ということで、WindowsXP・Office2002搭載の中古ノートパソコンを、なけなしのお金をはたいて88,000円で購入。2004/01ようやくXP環境が整った
  (パソコン仕様)
 ・富士通FMV/BIBLO NB8/90D CPU:AMD Duron 900MHz メモリ:256MB HDD:30MB
       Microsoft Office2000
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パソコンライフ(その5)/実力向上をめざして(windowsXP編/Part2)・・・【2004〜2005年】
2004/夏を過ぎて、ますます個人レッスン受講希望者が更に増加してきた。レギュラーレッスン対象者は20数名になった。そのほかに、スポットレッスン受講者も10名ほどとなり、平日の5日間は多忙を極めた。なんだか現役時代よりも忙しくて時間に追われているような感じを持ちながらも、事を始めた以上、また、レッスンを受けたいと思っておられる方々への使命感とが相まって、活動に励む毎日が続いた
パソコン指導を始めて約1年半、私にとっていろんな面での得ることがあった。いままで会社人間であった私の付き合う人はむしろ男が大半、それが、パソコン受講者は主婦がほとんど。新たな人間関係の形成と接し方をおぼえていく新鮮さは、いままでの人生で得られなかった新しい分野の再発見でもあった
更にもう一つ、パソコンユーザがインストラクターに期待するものとして、単なるパソコン操作の取得のみでなくて、操作で困ったときとか、トラブル、あるいはハードに関する技術サポートを受けたいということだった。単純なサポートのみならなんら問題なしだが、パソコンユーザはインストラクターたるやパソコンに関して何事も熟知しているというように思っていることである。斯様な中での、私の未経験の事柄のサポート依頼を引き受けることは私自身の技術レベル向上を図る極めて大切な要素であった。これは正に昔から言われている言葉である「教えることは教わること」を地で行っていることであった
このようにして多くの人と接し、楽しいお付き合いをしながらそして私も一緒にパソコンの勉強をする日々を過してきた。私自身、ここで更にもう一段上のパソコンに関する知識を身に付けたいという欲望が芽生えてきた。よし、ここで一つパソコンの自作に挑戦しようと決意した。2004/夏のことであった
 まず、買ってきた教本「パソコン自作」を読むことで、パソコンを構成しているパーツの理解の勉強から始まった。急ぐことはなかったので、ゆっくりと構成パーツのCPU、メモリ、マザーボード、グラフィックボード、ハードディスク、光学ドライブ、ケースと電源ユニット、その他構成パーツ、それぞれのスペックの基礎知識、パーツの選定知識、組み立て手順など全体の概念の理解を進めていった
パソコンの構成概念が理解できた2004/12初め、パソコン自作へ向かって具体的に行動開始、まず、パーツ選定に入った。約2週間をかけてあれこれ比較検討した結果、パソコンの仕様を次のように決定し、Onlineで12/下旬発注した
(自作パソコン仕様)
 ・CPU : Pentium 3.0EG 3GHz Socket478   ・メモリ : IO-DATA DR-400 512MB×2=1GB
 ・マザーボード : GIGA‐BYTE GA-8IPE100PRO2 ・グラフィックボード : Asustek R9600SE/128M
 ・ケース : OWLTECH OWL-PCC9/400 400W電源 ・ハードディスク : HGST 160GB SerialATA
 ・FDD : MITSUMI FA404M(メモリカードリーダ付)  ・光学ドライブ : IO-DATA スーパーマルチドライブ
 ・モニタ : IO-DATA LCD-A193VB 19インチ     ・キーボード : サンワサプライ SKB-109(109キー)
 ・OS : Windows XP HomeEdition(OEM版)  ・Office PersonalEdition2003(OEM版)

(費用総額)
 ・184,000円也 ・・・ この仕様だったら、メーカ品なら25〜28万円ぐらいに相当すると思う
 ・むしろ、自作を通じての楽しみの方が優先なので費用の多寡は度外視

2005/01/06より、パーツがばらばらと配送されてきて、01/19に全てが揃った。いよいよ組立て開始へ進むことになる
 2005/01/20 組立て開始。少しずつそれぞれのパーツとパーツの関連を理解しながら、ゆっくりと自作の楽しさを味わいながら進めた。 01/21全てのパーツの組上り。延べ時間6時間の充実した2日間だった
01/22,23はチョット一休み。2005/01/24夜遅くに、モニタとキーボードを接続していよいよ起動テストを開始。これまた緊張とワクワクの瞬間。 無事起動ができてにっこり、1時間の作業でこの日はこれにてお終い
 01/25夜、BIOSの基本設定。約2時間の作業で終了。いよいよ明日はOS等のインストールだ
2005/01/26 HDD、DVDドライブの配線接続を行って後、ケース内の配線の結束と整理で全ての組付けは完了。約1時間。次は最後の仕上作業のWindowsXPのインストールだ。HDDのフォーマットを行ってインストール実施。1時間10分で全て完了。自作パソコン完成の最終段階は淡々としたものだった
翌日からは、各種ドライバー、各種ソフト、Officeのインストール、その後、LAN接続とインターネットとメール設定、既存98PC・XPノートPCとのファイル共有化設定等々を順次進めていきいよいよ本格稼動に入った
新作パソコンの操作環境は快適そのもの。いままでの98パソコンがなんと不細工な奴なんだろう、よくこんなものを使っていたことかと、違いを顕著に感じる毎日を過すことになった。
新作パソコンがメイン機として、3台のパソコンをLANで使い分けしながら約半年が経過。大変な事態が発生した。2005/08初め、夜間にWord入力作業中フリーズ発生。疑問に思いながらも強制終了して再度起動。しばらくするとまたフリーズ。数回繰り返して、この日は作業終了とした。
 翌朝、パソコン起動するも全く立ち上がらない。やはり昨夜のフリーズトラブルが何かの問題の前触れだったのか。ケースの横蓋を開くと一瞬焼け焦げの臭いがした。各パーツ目視点検するも特に異常は見受けられない。鼻を近づけて臭いを探したがよく分からない。トラブルの経過からみて電源部に異常があったように推定した
修復への作業の前にハードディスク内のデータを何とかして取り出さないとたちまち毎日が困ってしまう。LAN接続の他のパソコンにBackupはしていたが1ヶ月ほどの分はなまくらしていた。ハードディスクを取外して他のパソコンへ接続してという手もあるが、新作機のものはシリアルATA、98パソコンはウルトラATAタイプなのでマッチしない。
 いろいろ調べるうち、シリアルATAよりUSBへ変換する接続ケーブルがあることが分かり、さっそく購入してXPノートパソコンへ接続して無事データ取り出し成功
次は故障パーツの修理手配。秋葉原の店からネットで購入したので問合せのメールを発信。電源部と念のためマザーボード、CPUを一緒に送り診断してもらうことになった。数日後、電源部が故障と返事が入り、保障期間中なので無償対応となった。2週間後に代替電源部が到着、無事修復完了となった。
 自作パソコンは全てが自己責任。不安を抱きながらも駄目ならダメモトで作り直せばいいやという気持ちの錯綜する1ヶ月だった
やれやれであったが、やはりデータのBackupをしっかりやらねばならないことを、ひしひしと感じる事例をまた味わうことになった。そういうことでどのパソコンがトラブルになっても、いずれかのパソコンから自由にアクセス可能なLAN接続ハードディスクを設置した。これでデータ保護はまず確実な体制となった
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パソコンライフ(その6)/活動拡大が続く(windowsXP編/Part3)・・・【2005〜2006年】
2005/02 シニアの個人レッスンに特化していたパソコン指導に加えて集合レッスンの機会が訪れてきた。桔梗が丘公民館でIT講座を開設することになり、講師の依頼が入ってきた。シニア対象で10名程度の集合レッスン講座を引き受けることになり、2005/04より受持ちが始まった
公民館IT講座は2時間/1回×2回/月×6ヶ月=24時間/12回で修了をめざすもので、Word初級講座を進めている
受講希望者は毎回の募集で定員の4倍程度の申込があり、パソコンを使いたいという方の需要はまだまだ続く気配を感じている昨今です
2006/08桔梗丘公民館IT講座修了者の中の10名の方が、公民館自主サークル活動として「パソコンサークル」を立ち上げされ、私に講師の依頼が入ってきた。担当した講座の方々ばかりなので、当然とはいえ引き受けることになっ
斯様なことで、2006年現在は「公民館IT講座」、「公民館パソコンサークル」、「精神障害者生活支援センター・パソコン教室」と、「シニアの方々への個人レッスン」で、多忙の中にも充実した毎日を過している状況です

▲▼▲▼▲ここで少しホームページ作成に関することを記したいと思います▲▼▲▼▲
常々、自分のホームページの開設を行いたいと考えていた。2004/春頃から、IBMホームページビルダーにて暇ひまに勉強を進めていた
そのような時、所属しているインストラクターの会「サイタネット東海」で、2004/秋に3回に亘ってIBMホームページビルダーによる、ホームページ講座の研修会が開催され他のメンバーと一緒に楽しく勉強をした。研修会終了に際して会長からサイタネット東海のホームページを全面更新する提案があり、その担当に私が指名された
そのような経緯から、2005/01より更新作業開始。3月中旬更新アップデート完了
この「サイタネット東海」ホームページ作成作業の後、いよいよ自分のページ作成を進める計画を具体化していくことにした。しかし、この時期、公民館のIT講座が始まったことと、個人指導のパソコンレッスン活動で本当に毎日が目の回るような状況であり、なかなか、ページ作成作業の時間が捻出できず苦慮していた
2005/11 意を決して1週間の休日を確保することにして、一気にホームページ作成作業を進めることにした。やっと、自分のページを持つことがきた。しかし、公開はしたもののページの構成、コンテンツはお粗末な状態だった
ということで、いま少し我慢の時期を過して更なるコンテンツ充実に努めることにした。ページの骨格は出来上がったので、後は少しずつ肉付けという感じで、2006/01より素材の収集と整理を行いながらの作業を進行させてきた
2006/06 ようやくといえばようやくになる。しかしまだまだ未完成のままのサブページを抱えた状態であるが、全面的な更新で再公開にふみ切ることにした。未完ページは順次整備していく予定ですので、今後もアクセスの程お願いいたします

2006/01/下旬のこと、NTTから桔梗が丘地区にも光ラインが開通したので、回線変更しないかとの勧誘があり、さっそく「フレッツ光プレミアム」を申込。しかし、工事日は2ヶ月先というものだった。
2006/03/27 やっと光ケーブル引込工事となった。約1.5時間で工事は完了。その後、接続設定は設定マニュアルを読みながらメイン機にスタートアップツールのインストールで難なく完了。LAN接続の他のパソコンは従来設定のままで何ら変更措置することなくそのまま接続できた。
スピード測定結果は、上り、下り共 25Mbpsだった。いままでのフレッツADSLモアの4倍の速さであり、特に上りスピードが抜群なのが申し分なし。最先端のブロードバンド環境で只今満足!!というところ
ここで2006/06現在での我がパソコン設置環境を記します
(1)自作PC WindowsXP CPU:Pentium 3.0EG/メモリ:512MB×2=1GB/HDD:160GB/モニタ:19inch・・・メイン機
(2)ノートPC WindpwsXP CPU:AMD Duron 900MHz/メモリ:256MB/HDD:30GB/モニタ:14.1inch
(3)ノートPC WindpwsXP CPU:Celeron 1.5GHz/メモリ:512MB/HDD:80GB/モニタ:15inch・・・2006/04購入
(4)DT/PC Windows98 CPU:AMD Athlon 700MHz/メモリ:512MB/HDD:40GB/モニタ/17inch
(5)LAN/HDD Buffalo LinkStation 300GB
・これらのハードウエアをLAN接続で構成している
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パソコンライフ(その7)/Windowsの新しい時代へ(windows Vista編)・・・【2007年(1)】
2007/01/30 Windowsに新時代が訪れた。Windows Vistaの登場である。Windows XPの後継OSとしてのVistaは、2005年初め頃からWindows Longhornの開発名で記事が頻繁に見られるようになって久しいが、2006年秋にはVistaのリリース日程の発表があって、いよいよその時期が来たことになる
2007年になってVistaへの対応を具体化する気持ちが高まってきた。Microsoft社のXPのサポートは当初2009年末までという発表であったので、メインのパソコンとしてはVista搭載機を新たに購入又は製作しなければならないということでいろいろ思案する日が続いた
1月下旬になってXPのサポートは2014/04まで延長発表があった。これは、しばらくXPとVistaの共存期間が続くことになる。パソコン指導もこの二つのOSを使い分けてやる期間が長くなると予想をした
方針決定。今使っているメイン機のXPとVistaを共存させようとの考えに至った。Vista発売5日前の01/25のことだった。さっそくメイン機の改造仕様の構想まとめに取りかかった
仕様決定。考え方は、XPとVistaのDual Boot。そしてVistaにはOffice 2007を導入することとした。改造関連パーツは01/26より順次手配開始
(メイン機の改造仕様)
・ハードディスク増設 HGST/320GB  SerialATA ・・・ ここへWindows Vistaをインストール
・メモリ増設 1GB IO-DATA/DR-400 512MB×2 ・・・ その結果、既設と合わせてメモリ合計:2GBとする
・グラフィックボード交換 Geforce7600チップ搭載のGIGA‐BYTE/GV-N76G256D-RH ・・・ VistaのAeroに適合を考慮

・Windows Vista Home Premium(OEM版) ・・・ワンランク上のOSとした
・Microsoft Office 2007 Professonal(AC版) ・・・ これもワンランク上とした

メイン機の自作パソコンの改造はパーツの入荷に合わせて作業開始
・2007/02/02 メモリ増設(合計2GBとなる)。ハードディスク増設(フォーマットおよび論理ドライブ設定にて終了)
・2007/02/03 PCケースに吸気口増設。 ケース側面に10mmφ吸気口を80個開口グラフィックボードの放熱増等を考慮した)、合わせて吸気フイルターを網戸の網を利用して作成して取付
・2007/02/07 グラフィックボード交換。旧カードのドライバ/アンインストールと新カードのドライバ/インストール
・2007/02/12 Vistaインストール。Office2007インストール
     ・・・・・・以上でVista関連作業は全て終了。Vista使用開始だ!!!!!
(自作パソコン仕様)・・・2007/02/12現在のもの/青字が変更箇所
 ・CPU : Pentium 3.0EG 3GHz Socket478   ・メモリ : IO-DATA DR-400 512MB×4=2GB
 ・マザーボード : GIGA‐BYTE GA-8IPE100PRO2 ・グラフィックボード :
GIGA‐BYTE/GV-N76G256D-RH/256M
 ・ケース : OWLTECH OWL-PCC9/400 400W電源 ・ハードディスク : HGST @160GB SerialATA 
A320GB SerialATA
 ・FDD : MITSUMI FA404M(メモリカードリーダ付)  ・光学ドライブ : IO-DATA スーパーマルチドライブ
 ・モニタ : IO-DATA LCD-A193VB 19インチ     ・キーボード : サンワサプライ SKB-109(109キー)
 ・OS : @Windows XP HomeEdition(OEM版)  ・Office PersonalEdition2003(OEM版)
     
AWindows Vista Home Premium(OEM版) ・Office 2007 Professonal(AC版)
Vistaを体感。Office2007のWordとExcelを少し操作したが、今までのメニューバーがなく、全てがツールバーでやらなければならない、また、office2003とは配置が違うため探すのが慣れるまで一苦労という感じ。VistaのAero機能もなかなかのもので面白い。デスクトップも半透明でタスク中のWindowが半透明なのがこれまた洒落ている。これから自分用にカスタマイズして使い込んでいくのが楽しみである
特にWord/Excelはこれからのパソコン指導に間に合うように、いろんな操作を取得していかねばならないので、しばらくは初心に戻って勉強に励まなければならない
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パソコンライフ(その8)/多様なニーズに応えた活動展開(windows XP&Vista共存編)・・・【2007年(2)】
(Vistaへのレッスンが始まる)
2007/03/初旬のこと、訪問レッスンでまとめて7名の依頼が入ってきた。丁度同時期に修了するグループもあったので、引受けることにした。7名を3名と4名に分割して2日間に分けて行うようにした。その中の1人がWindows98搭載のノートパソコンを持ってきた。それも初期の98だったので、「チョット古いですからそのうち新しいのを買われたらいいと思いますね」と言った程度であったが、2週間後のレッスンでこの方はさっそく新しいのを買って、にっこり笑って持ってきたではないか。VistaでOffice2007が入っている
うかうかとのんびり構えていられない。もたもたしたレッスンはこれは沽券に関わる。自分自身も待ったなしの状況になった。初期の段階の文書作りはそんなに戸惑うことなく指導できるが、表、図形、イラスト等の操作になるとこれは大変なことになる。そんなことで、指導と自己研鑽の混在した日がしばらく続くことになる
この方はまた、習得が早い。6回ほどのレッスンで通常の文書作りはマスターしてしまった。夏前にはいよいよ表作成に入る。XP/Word2003でも準備していた自作の「表作成教材」を、Vista/Word2007用に作り変えることも始まった。当然この作業が自己の勉強にもなったのは言うまでもない。同様に「図形操作関連教材」もその後作成したことを付け加えます

(ホームページ作成の依頼が入ってきた)
2007/04/初旬、地域社会団体の「桔梗が丘まちづくり委員会」事務局より「まちづくり委員会」ホ−ムページの再構築の依頼が入ってきた。“桔梗が丘地区を住みよいまちにしよう”と住民自治を進めている「まちづくり委員会」/HPは当初のアップから3年ほどなります。その間、運用段階での担当者の変更交代等がありシステム全体において構成面・実務管理面での不具合が見られるようになっていました
そのような中、日常の更新・運用管理を桔梗が丘公民館事務局で取りまとめて作業することになり、HP管理上で、全面的なシステムの見直しと構成の再構築をしたいとの観点から設計変更の要請となりました。HPの設計変更を通じて、まちづくり活動の一つにお手伝いができることに喜びを感じ引受けることにしました。
作業は04/下旬から開始して、5月連休はほとんどこの作業に没頭。05/上旬にシステム変更の提案書を作成、提出。05/中旬には関係者と打合せをしました
提案書を元に打合せと要望事項の盛り込みが決定。、システム再構築の具体作業を進め、07/中旬にすべての引渡し。
  (桔梗が丘まちづくり委員会/HPへは次よりご覧ください) http://www.kikyogaoka.com/


2件目のHP作成依頼は、2007/08/下旬でした。機械設備と電気設備を設計施工している会社からで、この会社は水無月生の高校・大学時代の友人が社長をしています。丁度この時期は後述しますExcelによるデータ処理システムも手がけているときでしたので、そのあとならということで了解の下に引受けました
作成作業を開始したのは2007/10/中旬。そして11月初に依頼者への提出用素案が完成して仮アップするところまで行きましたが、このときに一大事態が突発しました。水無月生/HP内の「わが家の紹介」/「心筋梗塞で倒れる」ページにその顛末を記載していますように、水無月生不覚にも病に倒れ1ヶ月余りの作業中断止む無くに至りました
退院後の療養中に少し手残りとなっていたことを処理して、12/中旬に仮アップしました。これから、これをたたき台として、依頼者と具体的な仕上打合せをすることになっていますが、私の体調を気遣ってしばらく中断となっています
多分、2008年に入っての適当な時期から具体的に進展するものと思っています

(Excelによる商品管理/データ処理システム作成の依頼が入ってきた)
2007/05/初旬のこと、大阪の友人から、“スーパーへ精肉商品を納入している工場の商品管理をExcelを使って効率的にデータ処理を行いたい”、ので手伝ってほしいと依頼があった
データ処理の内容は、毎日配送する都度、店頭商品棚の品種別品番別商品数を記録したものを工場に持ち帰ってきて入力することで、売上数量と翌日の配送数が計算されるとともに、工場への生産オーダー数もOutputするようにしたいということだった
さっそく基本的なシステム原案の作成に入り、05/下旬「検討用原案」を送付。07/初に依頼者の友人と具体的打合せを実施。その後、いくつかの問題点と要望事項の調整作業を経て、08/初より実施設計に入った
09/下旬、ようやくシステムが完成し依頼者の友人と依頼元の精肉会社へ提出。システムは17店舗、牛肉豚肉鳥肉の3品種で合計490品番を、それぞれ毎日データ処理して翌日につなげるというものなので、システム容量としては相当に膨大なものになった
10/初、大阪にある依頼元の会社へ出向き、システムの概要説明と操作説明をして引渡しをした。しかし、システムというものは一度作ったものがそのままうまく機能して実働するものではない。使っていく段階でいろんな要望が付加したり、新たな不具合、問題点が出てくるのは当然のこと。そういうことで今後のバージョンアップへの改善の必要性の説明と約束をして、まずは、本件一件落着とした
多分、2008年の適当な時期には依頼元でもある程度使いこなしてくると思われるので、その段階で改善・変更の要望を受けて手直し作業をやらなければならないと考えています

(その他の活動展開)・・・2007年/いろんなニーズに応えたその他の活動
ブログ・水無月生を2007/03/26開設。このHP「シニア青年・水無月生」のブログ版を作ることにしました。HPは一つの課題をもってページを構成し系統的な管理と閲覧ができますが、ブログは日々の出来事を日記もしくは雑記程度で掲載することで雑記録として残すことにしました。HPとは異なった形でタイムリーな掲載ができるので別の意味での興味が沸きます
ハードディスク(HDD)の不良によるPCの動作不良の修理・点検依頼が多い2007年でした。HDDはいつ壊れるかわからないということを実感するいくつかの事例に接したことになります。DT/PCで1件、ノート/PCで3件、合計4件の事例をサポートしました
このうち3件は保証期間内のものと、依頼者の希望でメーカ修理としました。あとの1件のノート/PCはメーカ保証を望まないので私に全てをという依頼でしたので、HDD交換からリカバリーを含めてすべてを受託いいたしました。メーカ修理の1/3の費用でできますので、節約効果は大きかったと思います
ノート/PCのメモリ増強依頼も3件ありました。Windows XPの初期のPCはメモリが256MBが多く、また、XP/SP1バージョンというのもありましたので、最近の操作環境では満足できなくなってきていましたと思います。XP/SP2へのUpdateと併せてのサポートでした
その外では、パソコンインストラクター、データ処理運用フォローが前年度より引き続いての活動となっています。主なものを下記します
  ・Excelデータ処理システムの運用フォロー:給食ボランティア団体の日常活動のデータ処理
  ・福祉施設でのパソコン教室講師:精神障害者生活支援センターでの障害者の生活改善講座の一つ
  ・公民館パソコン講座講師:公民館主催の生涯学習講座・IT講座
  ・公民館パソコンサークル講師:公民館自主サークル活動のパソコンサークル
  ・SITAネット東海Excel研修会講師:水無月生所属PCインストラクターの集まりの会での講師研修会
  ・個人レッスンPC講座講師:PCレッスンは訪問レッスン及び自宅教室で個人指導を継続中

(以上、2007/12/末までの「水無月生のパソコンライフ」でした。2008年以降はその都度追って追記更新します)