水無月生 心筋梗塞でダウン
シニア青年・水無月生、2007.11.04に不覚にも「急性心筋梗塞」でダウンしました
 今まで心臓に関してはまったく無関心で無縁と思っていましたが、突然襲ってきましたこの病気で
大変な目にあってしまいました。多くの幸運に恵まれ奇跡的に一命を取り留めました
以下、発症から退院までと、その予後につきましての闘病顛末を記します
関心を持たれた方で充分な時間のおありの方はどうぞご覧ください
はじめに
私・水無月生は心臓に関する病気にはまったく関心を持っていませんでした。といいますのは血圧・コレステロール・動脈硬化等の心臓病に起因する要素は全て正常値でした。当然、不整脈・狭心症の症状も経験したことはありませんでした。そのようなことで、心臓病に関しては全くの無知そのものでしたので、起こりうる症状がどういうものであるかということも知るよしもない無防備な状態でありました
むしろ、私はガン家系の方です。父親の兄弟姉妹は5人中3人がガンで亡くなっています。またその従兄弟でもガンで亡くなったものが幾人かいました、私の3歳年下の従兄弟も2000年に胃がんで亡くなっています。私はいつかはガンに襲われるのもと思っていましたのでガンへの関心ばかりがほとんどで、当然、ガン関係ばかりがわたしの留意する事柄でした。
このような状況の中で突然襲ってきました「急性心筋梗塞」に、水無月生は何事が起こったのか皆目見当がつかない事態でした。時は2007年11月04日(日曜)のことでした
結果的には私の命を救うために尽力くださった方々のお陰です。また、多くの幸運、強運、奇跡的なことが重なり、死線をさ迷った末にこの世の生命を継続することが出来ました
発症から救急搬送まで
11.04(日)…1日目(1) この日は朝から桔梗丘公民館で囲碁を楽しんでいました。「桔梗が丘囲碁同好会」の秋季大会をサークルメンバー23名で行っていました。私は4局を打ち終えたときは14:00過ぎ頃でした。次の対局者との対局の前になりましたとき、急に胸の痛みを感じました。少しどこかで休めば痛みは治まるだろうと思っていて、対局者にその旨を告げて部屋を出ました
誰か人のいない空き部屋があればそこで横になって痛みの治まるのを待とうと、空き部屋を探しました。しかし、この日は公民館では健康フェスタのイベントを行っていまして、どの部屋も使用中という状況でした。廊下の片隅でもと考えて探しましたがどこにおいても人目につく状態で横になるところは見つかりませんでした【幸運その1】
胸の痛みはますます強くなってきました。今まで経験したことのない強烈な圧迫感の痛みと忍耐の限界を超える苦しみが襲ってきました。この異様な痛みは何なんだろうか、これは一体全体何事が起こったのだろうかと思いながら、とにかく早く横になりたいと痛みに耐えながら公民館事務所へ行き、横になる部屋の提供を求めました
公民館事務所の女子職員の方が私の顔を見るなりこれは異常な事態と感じたようでした。顔面は蒼白で脂汗が吹き出ていたようです。直ちに適当な部屋へ案内していただいて、椅子を並べて寝かせてもらいました。数名の職員の方は救急車の手配、私の介護と親身で迅速な対応を行っていただきました【幸運その2】
合わせて私の妻への通報も行っていただいていました
公民館の隣は桔梗が丘消防署です。しかし、このとき救急車は他の救急業務で出払っていましたが、控えの救急隊員がすぐ駆けつけてくれました。酸素吸入とその他の処置が行われました【幸運その3】
そんな中、私の手足は完全にマヒしてきまして、胸の痛みは極限に達しました。私は痛みと苦しみに耐えることが精一杯で、これ以降のことは記憶に残っていることが少ししかありません。ただ、言える事は不思議なことに耳はしっかりと聞こえていたということでした。救急隊員の呼びかけで「かかりつけの医者は?」「既往症はあるか?」等には苦しい中でも返答していました
10分ほど経過して名張消防署から救急車が到着したようで、何か処置をしていましたがその後、搬送ベッドにて救急車に乗ったのを覚えています。10数分後には「寺田病院」に到着したと思います。かかりつけの医者の質問に答えたのが寺田病院だったからでしょう
当日は日曜だったので寺田病院では寺田院長(今は理事長)に診察していただきました。「急性心筋梗塞」の診断が下され、「名張市立病院」へ再搬送になりました。
あとで聞いた話ですが、この時に寺田病院から名張市立病院へ「心筋梗塞の手術体制」を直ちに取るように指示がなされていたとのことでした。休日であったので、名張市立病院ではこの手術要員確保の手配が迅速に行われた模様でした【幸運その4】
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病院での緊急手術
11.04(日)…1日目(2)



命を助けていただいた
「名張市立病院」
名張市立病院でのこの日の当直医は循環器科担当医でした【幸運その5】
医師から「直ちに緊急手術を行う。そうしないとあなたの命はありません」と大声で告げらたのが聞こえました。救急診療室で痛みを和らげる処置を受けると少しは楽になったような感じでした。その後、手術室へ移動し準備が始まっているようでした。要員手配が全て完了出来たことの報告が医師に行われているのが聞こえてきます
この頃には妻も駆けつけていまして、医師からは『症状は極めて深刻。助かる見込みは1%未満かもしれない。最善を尽くしたい』という通告だったようでした
痛みは和らいだとはいえ、苦痛は依然大きく目をふさいでじっと我慢するしかない状態が続きます。手術というからには胸を切開して行うものだと思っていましたので、全身麻酔でそのうち全てが分らなくなるだろうと思いながら、場合によってはそのまま命が亡くなるのかもしれないとの思いが脳裏をよぎってきました。まさにこの時点では死線をさ迷っているという状況だったといえます
どれぐらいの時間経過があったのかわかりませんが医療チームが編成され、打合せや何やらの指示や話し声が聞こえる中で手術が始まったようでした。手足は完全にマヒ状態で何をされているのかまったく分らないままの中、麻酔での眠りがでてこないのは何故だろうかと苦痛の中でも考えていました。あとで分ったことでしたが、「カテーテルによる手術」が行われていたのでした。カテーテルは右腕動脈より挿入されていました
2時間近くの時間経過と思いますが、医師から『成功しましたよ。目を開けて』と声がかかりました。このとき初めてマスクをしている医師の顔を見ることが出来ました。医師は2人でした。それと時を同じくして「身体全体に熱いものが流れるのがわかりました。そして完全にマヒしていた手足がそして指が動き始めたではないですが」。合わせて胸の痛みも潮が引くように和らいでいきました。ああこれで命が助かったのだと実感した瞬間でした。時間は18:00を過ぎていたようです。4時間余りの苦痛からやっと開放されました
これもあとで考えてのことですが、通常、医師が手術をしたあとは「成功しました」というようなことは言わないと思います。常に行っている医療業務の一環を終えたことなので「終わりました」とか「うまくいきました」というのが通常だろうと思います。それが『成功しました』というのは困難な手術を克服できたということだったと思われる【幸運その6】
そのような手術前と手術後の医師の発言もありましたように、私の心筋梗塞の症状は相当ダメージが大きかったようです。それがどのようなものだったかは、その後の治療段階の期間に聞いたことでしたが、このことにつきましては後述します。また、一般的に急性心筋梗塞の救命までの時間は、4〜5時間ぐらいまでと言われます。私の場合は4時間余りということで、この点においても多くの幸運があってこそと感謝しています
まさに九死に一生という言葉がありますが、むしろ「九十九死に一生」を得たという状況といってもよいぐらいでした。このような奇跡的とも言える、恵まれました多くの幸運、強運には心の底から感謝して余りありません。このようなことは運命そのものかもしれませんが、そのようなことでは片付けられない神のみぞ知る、神のお加護というものを感じざるを得ません
医療チームは次のような方々の編成でした
  手術担当医師:2名(主担当医師と助手医師)
  医療スタッフ:3名(医療器械操作担当)
  看 護 師  :3名
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CCU室での48時間治療 (CCU:冠状動脈集中治療室 coronary care unit)
11.04(日)…1日目(3)

11.06(火)…3日目
CCU室での48時間治療が始まった。術後の48時間は極めて大切な期間で、この期間での死亡率は30%ほどあるといわれている
身体は身動きが困難な状態となっている。左腕は点滴注射と酸素吸収測定センサーが取付、右腕はカテーテル取外し個所の止血処理で添木と空圧帯で固定。そのため左右の腕は不自由な状態。下半身は尿管が接続されている、胸には心電図測定の電極がいくつか貼られてそこから器械にケーブルがつながっている、そして、鼻には酸素吸入チューブが接続。そんなことで、仰向けに寝たままの固定状態を当分の時間は続けなければならない
CCU室に入って30〜40分後に病院に駆けつけていた妻と息子、妻の妹夫婦が入室。会話も正常にすることができた
上半身はほとんど固定された仰向けのまま寝ている状態がこの日の夜のことであったが、時間の経過とともに両腕、腰などが少しずつ痛くなってきた。身動きが不自由なのだから当然のことである。しかし、発症時の胸の痛みと苦しみに比べると、こんな痛みは生きている証という感じで苦痛とは思えない
1日目の夜になった。発熱37.8℃。睡眠と目覚めを繰り返しながら夜明けまで過すことになった
この日は食事はなし飲み水は500cc/日の制限
主治医と担当ナースが決定
 ・主治医:黒田ドクター   ・担当ナース:太田あすみさん

(2日目)
医師及び看護師から心筋梗塞の原因になるものとしての、日常生活の問診があった。直接要因になる「喫煙」「飲酒」「動物性脂肪」「高血圧」「家族の病歴」「胸の痛み歴」等の質問があったが、いずれも私には該当するものなし。『そんなこともあるのかなあ』という受け答えの終始となった次第であった
朝から看護師2名にて身体を拭ってもらった。また、胸部のレントゲンも撮影。その他は、終日ベッドで寝たきりで、一日の大半は睡眠ばかりの状態だった
この日も食事はなし飲み水は500cc/日の制限
仰向けでベッドの寝たままなので、左右の腕はマヒに近くまた痛みもあり、腰も痛い。身体を少しずらせたり傾けたりするのみで、ほとんど効き目なしで我慢するのみ。37℃台の微熱は続いている。夜は38℃近くなり氷枕を使用する
病院併設の看護学校から実習のための看護学生の配置の依頼があった。快く了承した。21歳の看護師の卵の「中田佳那子ちゃん」。2週間の予定
パソコンレッスン関係者へ今回の事態での休講する旨を妻から電話連絡してもらった

(3日目)
この日の日中もほとんど寝ていた。うつらうつらとよく眠ってします。微熱は続いている。夜はやはり38℃近いため氷枕を使用
この日もまだ食事はなし。飲み水も500cc/日の制限
夕方、ベッドの角度を60度まで立てることの許可が出た。但し自力での起き上がりはダメとの事。手と腰の痛みがこれで少しは少なくなった
夜遅くの時間にCCU室を出て「重症患者室」へ移動した。術後48時間の危険状態を脱したということになる。しかし、この部屋に居る間も面会謝絶ということだった
今日も妻よりパソコンレッスン関係者への休講連絡と、公民館活動関係者、その他の幹事役とかの役割を担当している会等への役目を果たせないことへの断り連絡をしてもらった
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重症患者室での2日間・・・まだ、面会謝絶が続く
11.07(水)…4日目

11.08(木)…5日目
(4日目)
朝食より食事を取れるようになった。おかゆが茶碗1/2、おかずがほんの少々、汁も碗に1/2。昼食、夕食も同じようなメニュー。飲み水は500cc/日の制限のまま
身体を自力で上半身起こす許可が出た。身体拭きを看護学生にやってもらった。気分爽快。また、伸びに伸びた頬のヒゲをベッド上で剃った。顔面が爽やかになる
朝、点滴薬の1つが取外し。昼に酸素チューブを取外し。夕方には尿管を取外し。まだもう一つの点滴と止血帯は残っているので両手は不自由ながら、身体の自由度は相当によくなった
看護師より「治療計画プログラム」をもらう。通常の心筋梗塞の場合は3週間で退院できるらしい。しかし、私の場合は当初のダメージが大きかったので、それ以上の治療期間となりそうで4〜5週間ぐらいとなりそうだと聞かせてもらった(しかしあとの話になるが、結果的には4週間で退院できた。驚異的な回復力があったと看護師からいわれた。日頃から身体を鍛えていた成果があったのかもしれないと思う)
体温は午前中は平熱。午後から夜は微熱。氷枕は使用せずにいけた
排便で難渋した。午前中にベッド上でないとダメとのことなので寝たままで行うもまったく排泄せず。午後に、ポータブルトイレに座る許可が出たので再度チャレンジ。やっと目的を達したが、下痢便だった。両手は点滴と止血帯で不自由なため後始末は、看護師が暖めた濡れタオルで丁寧に拭ってくれた。看護師とはこんなことまでしてくれるのかと初めて知ることになる。まったくいやな顔をせずてきぱきとやってくれる。心からの感謝の気持ちと感激をした日だった
就寝は19:00。夕食を18:00に摂って、この時間までで起きているのが精一杯という状況だった

(5日目)
朝から右腕動脈の止血帯の取外し。夕方に点滴を取外し。これにて両腕は全て自由になった。また、朝にポータブルトイレで排便。まだ下痢便だった
今日の食事も、おかゆ茶碗1/2、おかず少々、汁も碗に1/2。食後の疲労感が大きい。昼食後は昼寝2時間ほど。夕食後はすぐに就寝してしまう
身体拭きを実習生にしてもらった。身の回りの世話を専任看護師にやってもらっているようなものでありがたい。ここでも幸運に恵まれたのかと嬉しく思っている
午後にエコー検査に行った。車椅子に乗せてもらって検査室へ。初めて病室の外で外気に触れた印象
午後のエコー検査の後、重症患者室より一般病室の個室へ移動。そして、新聞を読んでもよい許可が出た。3日分をまとめ読みした
体温は午前中は平熱となったが、午後から夜は微熱
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個室での10日間・・・外の世界は窓から見るだけの日々
11.09(金)…6日目

11.18(日)…15日目

 

 

 

 

 

 

 

 
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見舞いでいただいた
花かご(1)

11/10(日)…7日目
見舞いでいただいた
花かご(2)

11/11(日)…8日目
入院中は多くの方々から花をいただきました
単調な病室での心が和みました
ありがとうございました










































































患者食堂
15日目・11/18(日)より
ゆったりとした雰囲気の中で窓の外の景色を眺めながら快適に食事ができた
(6日目)・・・11/09(金)
個室に移ったが、まだベッド上での生活でベッドを降りて行動することが出来ない。立って歩くことは心臓への負担がかかるということらしい。今日から身体拭きを自分自身で行ったが、心拍数は110まで上昇した。また、ひげ剃りをベッド上で行う。大便は介助を受けてポータブルトイレで
食事は茶碗1/2から普通量になったが、おかゆとおかずの組合せはそのままで変化なし。しかし、糖尿病並みの摂取量の制限があり、1500kcal/日、塩分7g/日飲み水制限は500cc→800CC/日に緩和された
食後の疲労感は今日も同じくあり。昼寝はやはり2時間。夜の就寝は19:00
今日も検査あり。検尿、採血と、車椅子に乗って心電図を検査室で受ける
夜になって胸に取付けて病室内のモニターで監視していた心拍、呼吸数、酸素吸収量の測定が取外されたが、同じ測定をワイヤレスで、ナースステーションでの監視になった
体温は午前中は平熱、午後から夜は微熱
面会謝絶も解除され、この日より見舞いの方の訪問が始まった。退院まで多くの方の見舞いを受けました。多くの方のたくさんのお気遣いをいただきましたこと、ありがとうございました。この場を借りましても重ねてお礼申し上げます

(7日目・8日目)・・・11/10(土)・11(日)
この2日間終日平熱。日増しに身体の感覚に張りが出てきた。しかし昼寝2時間と就寝の19:00は継続している
「心臓病と上手に付き合うために」という参考資料を看護師からもらった。内容は次のようなもので、これからの生活の参考とする事柄。
【再発防止のためのポイント】
・自己チェックと定期健診(胸の痛み、息切れ、どうき、血圧、疲れやだるさ、めまいや失神など、そして定期的な受診と検査)
・日常生活の改善(食事のカロリーとコレステロール、食塩の量、動物性脂肪、適度な運動、過激な運動はしない、暑い日寒い日の運動をしない)
・危険因子の除去(喫煙しない、ストレスをためない、睡眠不足にならない、熱い湯に入らない)

やっと頭髪のシャンプーができた。看護師が車椅子で洗髪洗面器のところへ連れて行ってくれてやってくれた。本当にさっぱりした気分になった
新聞に続いてテレビも許可も出た。但し、刺激の強いものは見てはダメとのこと

(9日目・・・11/12(月)
看護実習生の介助で室内歩行テストを実施、合格。本日よりベッド上での生活から、室内の行動が自由になった。朝食後ポータブルトイレで排泄したが、明日からは通常トイレが使える。まだ、心拍、呼吸数等のワイヤレス測定でセンサケーブルが胸に付けているという多少の不自由はあるが、これで室内を思うままに動き回れるのがうれしい
パソコンの操作も許可になった。自宅で一旦メール受信をしてから、ノートパソコンを持ってきてもらって今日までのメールチェックをした。また、突然不義理をした方へメール連絡をしたかったので4件のメールの書込みを行った。これらのメールを書き込んでいるときに、心拍数が相当速くなっていたようだ。ナースステーションでモニター監視しているのでそれが判り、看護師が部屋に走ってきて操作を止めるように指示が出たので5件目の書込みは中止した。書き込んだメールはパソコンを家に持って帰って発信してもらった
この日の夕食は特別食だった。一日の食事はまったく塩分のない白粥と白身の煮魚、野菜の煮物中心のおかずが続いているが、この日の夕食ばかりは違っていた。右の挿絵のような「三重県の郷土料理」というメニュー付で味は薄めであったが
  ・しゃぶしゃぶ---伊賀肉
  
・のっぺ    ---伊賀地方
  
・田楽     ---   〃
というものだった。単調な病院食の中でこういうサービスで気持ちをやわらげてくれる気遣いを感じ取った。残念ながら実物の写真を撮らなかったので、これを機に翌日より食事の写真を撮ることにした

(10日目・11日目)・・・11/13(火)・14(水)
この2日間は大便で難渋する。極めて硬く排泄がなかなかしない、30分ほど座ってやっと出るという状態。便を柔らかくする薬(マグラックス)をもらって服用することになった。病室のトイレの便器を使えるようになっていたのでよかった
朝は6:00過ぎ起床、昼寝1.5時間、就寝19:30で一日の生活パターンは定着した感じ
「心筋梗塞とは」という説明資料を看護実習生が作ってくれた。「症状」「原因」などのメカニズムがよくわかった。そして心臓を動かしている動脈について初めて知った次第
 心臓は次の3本の動脈で構成している
    ・右冠動脈
    ・左前下行枝
    ・左回旋枝
この動脈が狭くなれば心筋は酸欠となる、また閉塞すると心筋が壊死して心臓発作を起こす。私はこの閉塞が起こっていた(この詳しいことは後述します)
少しずつ心筋梗塞についての知識がついてきた
また、今飲んでいる薬についても詳しい説明資料を作ってくれた
  ・バイアスピリン ・・・ 血管内で血液が固まるのを防ぐ。再発予防
  ・プレタール ・・・ 血管内で血液が固まるのを防ぐ。血管を拡げて血流をよくする
  ・リピトール ・・・ 血中の脂肪量を減らす。動脈硬化予防
  ・コナン ・・・ 血圧を上げる物質の働きを抑える。血圧を下げ心臓の負担を減少する

主治医の黒田医師からコレステロール値についてコメントがあった。「生活習慣では発症の原因となるものが見当たらないが、現状のコレステロール値は180mg/dlであるが、薬を使っている関係も考えられる。発症時は何らかの原因で200mg/dlを超えていた可能性も推測できる」とのこと。場合によっては当日そのような状況になっていたのかもしれないと思った。
見舞いの方がどんどん増えてきた。嬉しいことでもあり、いろいろと心遣いしていただいていることに感謝するとともに申し訳なくも思う。この2日間で7名の方に見舞ってもらった
メールのやり取りで外界との接触が可能になり、いろんな方との連絡がつくようになって便利になった。まだ室外へなでられないので電話連絡はできない。携帯電話も患者食堂以外は禁止なのでこれもまだできない。唯一、メールのみが連絡手段となっている

(12日目)・・・11/15(木)
本日朝から病棟5階フロアーを心拍数・酸素吸入量測定しながら100m歩行テストした。心拍数80台が100近くに、酸素吸入量は96〜97%で結果合格。歩行後はほんの少し疲労感はあった。今日のところはまだ室外歩行は許可されなかった
看護実習生より入浴についての注意事項の資料をもらう
  ・脱衣場、浴室はあらかじめ暖めておく
  ・かけ湯をして身体を温めてから湯に入る
  ・ぬるめのお湯(38〜40℃)で胸ぐらいまでつかる程度
  ・入浴時間は20分以内
  ・前かがみの姿勢は避ける(心臓を圧迫する)
  ・食後の入浴は避け

午後、ワイヤレス心電図取外し。これで身体から全てのものが取外された。やっと何事も自由になった
体重測定 63.1kg(従来比2kg)・・・この後、退院まで測定毎に減少していった
主治医の黒田医師より手術の結果説明を聞かせてもらった
(1)心筋梗塞のあった個所・・・「左前下行枝」の動脈血管が閉塞
(2)処置・・・血管の該当部を拡張して「ステント」を挿入
(3)その他の悪いところ

 ・「左旋回枝」動脈血管の枝管にも軽い梗塞が見られる
   ・・・処置困難なところなので当面はそのままとする。手術を失敗する懸念がある
 ・「右冠動脈」にも95%の梗塞個所がある。これを再度手術して処置する
ということで、次の手術日を11/28(水)に確定して、手術同意書に署名捺印した
 以上の説明は心臓の動きに合わせて冠状動脈内に流れる血流を軟X線で撮影した動画と冠状動脈の模型とでもって行っていただいた。心臓の動きとともに冠状動脈に血液が間欠的に流れる様子がよくわかり、梗塞している個所には血が流れていないのがはっきりと確認できた。また、「ステント」とは細い金属のワイヤーを網目状に編んだチューブでフレキシブルチューブのようなものであるということが説明で理解できた
 (患部の処理手順)
  (1)患部閉塞部をワイヤーを通して血流を作り、その先まで血を流して観察
  (2)閉塞部の血栓を吸引
  (3)閉塞部が開口したら風船で血管を拡げ、底へステントを挿入


(13日目・14日目・15日目)・・・11/16(金)・17(土)・18(日)
この週末は病棟5階フロアーの歩行テストを距離を増やして繰り返した
  ・(13日目)100m歩行。心拍数83→94〜95、酸素吸入量96〜97%
  ・(14日目)200m歩行。心拍数88→max104(少し速く歩いた)、酸素吸入量96%

結果合格となり、フロアー内は自由行動がOKとなった。食事も患者食堂で食べられることになった
14日目の土曜日の午後にシャワーができるようになった。但し10分以内。全身を洗えて本当に気分爽快。しかしこの影響か、夜に発熱37.8℃し氷枕を使う
(翌朝は36.2℃)
土曜日の発熱以外は安定した容態が続いている。また、起床6:00過ぎ、昼寝1.5時間、就寝19:30のパターンは変化なし
週末は見舞いの方が多かった。土、日曜日で9名の方に来ていただいた
今週で看護実習生の実習が終了。いろんな献身的な世話に感謝します。来年からの看護師としての仕事に頑張って下さい
看護師長より室外歩行ができる状態になったので、来週月曜よりに4人部屋への移動指示が出た
(夕方、ふるさとお産で娘が帰ってきた)
右の写真は、
1500kcal/日の一日の食事です
主食はおかゆ、
おかずは減塩:7g/日の超薄味


・・・10日目・11/13(火)の食事
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4人部屋での生活・・・ひたすら快復を待つ日々
11.19(月)…16日目

11.26(月)…23日目






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見舞いでいただいた
花かご(3)
11/21(水)…18日目
5日後の11/26に
このように開花しました

(16日目)・・・11/19(月)
朝9:00個室より4人部屋病室へ移動。既に1人が入居していて私で2名となったが、午後に1人が更に入ってきて一旦は3名となる。しかし、先に入っていた人が夕方退院となり、結果2名
身体拭き、ひげ剃りは自身で気楽に行った。また、大便も通常の排泄となり全て従来の状態に戻った感じがする。なお、小便は今までその度に計量ビンに溜めていて、看護師が1日の量をチェックしていたが、翌朝6:00までの計量(本日分)にて終了となった。排尿毎に尿瓶に取る面倒くささから開放された
起床6:00過ぎ、昼寝1.0時間、就寝19:30のパターンには変化なし

(17日目)・・・11/20(火)
深夜0:00頃の小便で起きて30分ほど経過した頃、胸の痛みの自覚症状が出た。胸を指先で強く押したような痛みで、手術後にたまに起こっていた筋肉痛のような瞬時的なものではなかった。痛みは10数秒継続してその後筋肉痛のような感じのものにやわらいでいって2分ほどで消えた。
 来週2回目の手術をする患部の影響かと思うので不安は全く持たないが、完治後のこの後にこのようなことが起これば、注意を持って当たらないといけないと思った
検尿、血液、胸部レントゲン、心電図の各種検査を実施。主治医より心臓の肥大が見られることと、血液中の残存老廃物は消滅しているとのコメントがあった。また、2回目の手術後には3日ほどで退院可能の見込みと聞かせてもらった
退院後の生活指導が始まった。今日は、心臓病についての知識を得るためのもので、「心臓病の危険信号」というテーマーのビデオを妻とふるさとお産のために帰ってきている娘との3人で見た
・心臓病のメカニズムと働き、心筋梗塞の起こるしくみがよくわかった。また、自身の現状に置きかえてみると、よく無事に救われたものと恐ろしくなったりもした
この日は、看護師の仕事ぶりに改めて感動した日でもあった
【病室での夜の出来事・2件】
午後から夕方にかけて2人の救急患者が入室。1人は脳梗塞のようで、他の1人はよくわからないが80才を過ぎた認知症も進んでいる感じで、やはり脳梗塞らしい
(1件目) 
脳梗塞のこの患者は私のベッドの前の方で、付き添いの家族の人は、18:00過ぎに帰宅した。この患者は手術をしたのかはわからないが、ベッド上での安静ということで、排尿は尿瓶に取るように指示されていた。当然点滴もしているので、ベッドより離れられない状態。排尿時は看護師に介助してもらうことになっている
私がテレビを見終えて就寝しようかと思った19:30過ぎ、カーテン越しにふと気が付くと、この患者は点滴のチューブを抜いて1人で歩いてベッドを離れていた。ベッド及びその周辺、病室の床には点々と血が落ちているではないか。その血は廊下まで及んでいて、本人はどこに行ったかわからない。そのうち患者本人は看護師に連れられて車イスで戻ってきた
そのあとが大変。病室の床と廊下の血のあと、ベッドとその周辺に付いた血の始末に看護師が総動員で行っていた。看護師長までが一緒にその修復作業に携わっていた
一段落した後、この患者は運び出されていった。多分、集中治療室か重症患者室へ移って、目の行き届くようにしたのだと思う

(2件目)
もう1人の患者は、私の横のベッド。カーテンで仕切られているのでよくわからないが、声は当然よく聞こえる。入室時の最初の看護師の問診で、昭和2年生まれと答えていたが、年令を聞かれると初めは19才と返答、再度質問された2回目は30才と答えていた。
オムツが必要で、奥さんが付き添っている
私が眠りについたすぐの21:00ごろ騒がしくなったので目を覚ましたら、小便がオムツより大量に漏れてしまった様子で、看護師2人がシーツの交換からパジャマの着せ替え等々、これも大変な始末のようであったが親切丁寧に作業を行っていた様子だった
付き添いの奥さんは帰宅することなく朝まで何くれとなく患者の世話をしていた。全くといっていいほど睡眠をとっていない感じで、献身的な態度には心が動かされた
そして、この患者もまた、翌日の昼前に他の部屋に移っていった

【看護師の仕事ぶりに感動】
この2つの出来事、看護師の仕事ぶりには尊敬に値するぐらい感動を覚えた。看護師としての医療業務は本来の務めとして当然としても、それ以外の患者に周辺で発生するいろんな世話焼き業務は実に広範であろう。今回のものも、まず患者を安全な状態にしたあとの床の血痕拭きとベッド周りの後始末、また、汚物を漏らした患者の世話に至っては嫌な態度をまったく見せることなく、それこそ献身的に働いていた
若い年令であるのに職業とはいえよくこれだけ真心をこめて務めることができるものだと、改めて感動するとともに、自分自身の生き方にの是非とも見習うべきものがあると、若い看護師さんから教えられた日でもあった


(18日目・19日目・20日目・21日目)・・・11/21(水)・22(木)・23(金)・24(土)
入院1週間ほどぐらいから、鼻血が出るようになった。最初のうちは何かの弾みかと思っていてそのままにしていたが、2週間目ぐらいからは朝の洗面で鼻をかんだときに、鼻の奥から黒く固まった血痕が出るようになった。これもしばらく様子を見ていたが、いつまで経っても変化はなかったので、今朝、看護師に質問した。午後に主治医からさっそく「今飲んでいるバイアスピリンとプレタールの影響と考えられる」と回答があった。因果関係がわかったのでこれで了解と安心をした
昨日に続いて退院後の生活指導のビデオを、11/21(水)・22(木)に2日間に亘って見ることになった。
(1)テーマ「狭心症・心筋梗塞でも生き生き元気に」
・快復後の生活での参考になることがたくさんあった
(a)ニトロールはいつでもどこでも携行
(b)Lisk factor
 ・高脂血症 ・高血圧 ・喫煙 ・運動不足 ・肥満 ・脂肪過多
(c)日常生活での留意事項
 ・運動は必要 ・急に走ったり駆けたりしない
 ・散歩は1日1時間程度する ・怒らない
(d)Kye word
 ・more walk  ・less eat  ・sleep more
(2)テーマ:「おいしい食事療法
 (a)習慣づけること
  ・適正なエネルギー量の摂取
  ・栄養バランスのとれた食事
  ・規則正しい食習慣で血糖調節
 (b)食事をおいしく続けるコツ
  ・酢やレモンで薄味を補う
  ・おかず少量、品数を増やす
  ・きのこ、野菜の食物繊維を多くとる
  ・よくかみ、ゆっくり食べる
  ・レンジでおいしく簡単にいろんな種類を調理する


(3)テーマ:「食事で下げようコレステロール」
  ・カロリー制限
  ・コレステロールの多い食品を避ける
  ・動物性脂肪を止めて植物性脂肪に
  ・食物繊維を多く
  ・肉は1〜2回/週程度は可
  ・理想体重と摂取カロリーの目安
    理想体重=(身長)2×22
    摂取カロリー(kcal/day)=理想体重×30kca
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11/23(金)の食事・・・1500kcal/日のおかゆの食事が続いているが、
夕食は肉料理だった  【クリックで拡大します】
塩分は少なくても、この頃には慣れてしまって薄味でも気にならなくなった
19日目の11/22(木)から病院内の全てのフロアーが自由行動OKとなった。但し階段は歩けなくてエレベータ使用に限る。丁度医療費の支払い請求が届いていたので、1階会計まで出かけていった
また、20日目の11/23(金)は休日だったので1階フロアーをあちこち見て歩きまわった。救急診療のところは救急車が入ったところだったので、看護師があわただしく走り回っていた。3週間前の自分に置き換えて他人事ではなかったし、考えてみても空恐ろしくもなった
「ニトロール」について資料をもらって説明してもらった
(1)ニトロール錠:冠動脈を広げる作用があり、全身の静脈も拡張させる
  →静脈中の血液量が多くなると、心臓に戻ってくる血液量が少なくなり
   心臓の負担が減少し発作がおさまる
(2)ニトロール錠の正しい飲み方
 ・発作時又は発作が始まりそうになったときは、安静にして1錠を舌の下に
  入れて溶かす。口の中の粘膜から吸収させる
 ・発作がおさまっても5分間は安静に
  →全身の血管が広がるので血圧が少し下がる
   意識が不安定になるので安静が必要
 ・頭の血管も広がるので頭痛が起こることもある。足を高くして横になると自然に治まる
 ・15分ほどで治まらない場合は、更に1錠追加。その後の15分ほどで治まら
  なければ、重い狭心症か心筋梗塞の可能性が大きい。直ちに救急処置をすること
(3)所持での注意
 ・ニトロール錠は常に身の回りに付けて携行。また、行動範囲に分散して置いておく
 ・有効期限に注意。期限切れは効果減少する

11/24(土)は朝から入浴テスト。湯温は40℃、湯につかる時間は10分以内なので身体はほとんど温まらなかった。3週間ぶりの入浴なので気持ちがよかった。ひげ剃りも入念にできた。
入浴後に心電図測定は異常なし、酸素吸収量97%、心拍は100で少し早くなっている、血圧104で、全て問題なし
11/24(土)の朝は快晴で美しい「日の出」を見ることができた。7:00少し前に病室の窓から見る東の山の向うに昇る朝日を美しく仰ぎ見ることができた。登り始めの太陽は眩いばかりに、ゆらめく炎のコロナに包まれている。起床してすぐなので夢中になって何枚もカメラに収めた。生きていてこんなに荘厳な太陽を拝めるということは本当に嬉しいことだった。また、夕方には西の山に沈む夕日も撮影できた。素晴らしい天気に恵まれた1日だった
 【クリックで拡大します】

(22日目・23日目)・・・11/25(日)・26(月)
この頃は毎日シャワーをして身体を洗うのとひげ剃りもできて、快適な毎日を過している。体調もよく排泄も通常の便で量も通常、排尿も6〜7回/日と問題なし。しかし、体重は食事のカロリー制限(1500kcal/日)のためどんどん減少している。23日目(11/26)の測定では、61.2kgで今までに比べて4kg
永らくのベッドでの生活のため、運動不足での筋力低下が見られる。当然の事ながら肩、首が痛くて凝りが出てきている。そんなことで、23日目(11/26)から首と腕回しの運動を開始した。首まわり、肩がすっきりした。毎日続けて生きたいと思った
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2回目の手術・・・いよいよ最後の仕上の時期が来た
11.27(火)…24日目

11.29(木)…26日目
(24日目)・・・11/27(火)
本日は2回目の手術の前日。朝9:00シャワーでいつものように全身を洗ってひげ剃りをしてすっきりと準備をした
退院後の生活の中で大切な『栄養指導』を午前中に受けた。妻とお産前に帰ってきている娘も同席して説明を聞くことになった
(1)入院中の原食事は1500kcal/日、塩分7g/日。本日よりは1600kcal/日、塩分7g/日に変更で、ご飯も「おかゆ」から「米飯」になる。退院後は1800kcal/日、塩分10g/日を守ること
(2)ナトリウムの検査値は140(基準値130〜145)なので正常値。塩分摂りすぎは水分を多く飲むことになり、結果的に血中水分増加につながり心臓への負担が多くなるので注意
(3)今後の食生活での注意すること
 ・動物性脂肪の食べすぎ
 ・塩分の摂りすぎ・・・ポン酢の塩分は醤油の1/2。味噌汁の塩分1〜2g/1杯のこと
 ・おかずを多く食べると塩分が必然的に多くなる。濃淡を品によってつけるとよい
 ・高脂血症、高血圧ではないので神経質になることもない
 ・水の量は飲み過ぎないように。目安は1000cc/日

入院での最後となる見舞いの方が訪れてくれた。この日は7名。この日まで合わせて62名の方が心温まるお見舞いをしていただきました。本当にありがとうございました
明日の手術準備として、いろんな説明を受けることになる
(1)治療計画の説明(資料にて)
 ・治療前日から治療後の6日間いついてのプログラム
 ・このプログラムによると、12/1(土)が退院可能日になっていた
 ・この日は特別なことはなし。食事も通常通りでOK

(2)カテーテルによる手術について説明(資料にて)
・患者の不安を和らげて、安全にまた、安心して治療が受けられるように、手術室に入る時から病棟に帰るまでの説明だった
・手術の手順と進め方、身体に起こる現象等の説明をしてもらったが、安心する反面、緊張もするというものだった。最初発症して病院に運び込まれたときは、何をどのようにされたかまったく覚えがない状況であったが、改めて説明を聞くと、その当時がどういう状態であったかと想像してしまって、むしろ緊張が体中に走ってしまった

夕食は「おかゆ」から「ご飯(どんぶり茶碗1/2)」になり、1600kcal/日の食事になった
この日の夜は20:00就寝

(25日目)・・・11/28(水)【2回目の手術日】
本日は2回目の手術日。いつものように6:00過ぎに起床して、身体を拭いて、ひげ剃りをした。朝食は7:00で、この日より「おかゆ」から「パン食(薄切り食パン2枚)」に変わり13gのイチゴジャム(20kcal)、野菜煮物、牛乳200cc、バナナ1本というメニューだった
やはり緊張しているせいなのか大便はまったく出なかった
この日の昼食は絶食

【手術の経過】
11:00より点滴を開始。いよいよカテーテル手術の準備に入る。350t程の点滴液を4本注射することになる(この処置はゆっくり時間をかけての点滴なので手術終了後深夜まで及んだ)
13:00からの手術予定だったが、補助の医師の都合で遅れて、13:50に手術室に移動した。前回と同じ部屋であるが、全くといっていいほど記憶になし。今度はしっかりした意識のある状態なのでどうしても緊張してしまう。
心電図等の各種の測定センサー等の取り付けとケーブルの接続のあと、右腕の消毒に続いて上半身にプラスチックシートが被ぶさり、右腕の麻酔が行われてきた。その後、動脈へのカテーテル挿入が行われているのが何となくわかる。緊張がいやでもしてしまう。看護師はそれがわかるのか何度となく緊張を和らげるように優しく声をかけてくれる
胸の上ではX線撮影のカメラヘッドが左右に動きながら撮影を繰り返している。足元からは数人の話し合う声が聞こえるが、内容は聞き取れない
手術が進んでいるようなのがわかる。どれだけの時間が経過したのか、心臓付近に違和感を覚えてきた。この時がカテーテルが心臓に届いてきたのだと何となくわかる
しばらくすると秒読みの声が聞こえて、30秒、40秒のあと50秒、12気圧の声がした。胸に圧迫感が出てきた。風船が膨らんだ時と思う。続いて『いきます』の声、ステントを挿入したのだろう
その後、後処理が始まったのか足元付近ではいろんな音と話し声があって、右腕付近も何かの処置しているようだ
しばらくして、主治医から『うまくいきましたよ』と声がかかった。終わったのかと、ほっとした瞬間だった
手術中は看護師から何度となく『気分はどうですか』と声をかけてもらって、緊張を和らげるように努めてもらった心遣いは嬉しかった
15:20終了。1時間20分の手術だった
終了後室内を見回すと、次の医療チームであったことがわかった
  ・医師:黒田憲治主治医と補助の医師の2名
  ・医療器械スタッフ:3名
  ・看護師:3名

治療個所は「右冠動脈」。挿入したステントは27mm(動脈の太さは3mmあったとのこと)。これで、この動脈の95%閉塞が解消された

【手術後のこと】
CCU室(冠状動脈集中治療室)へ移動。心電図等の各種測定が接続、左腕は点滴、右腕は動脈はエアー圧迫の止血帯処理、という状態で左右の腕は不自由であるが、身体は動かすことができるので前回よりは格段に自由度はある
17:00に水飲みがOKとなり、18:30夕食をとる。夕食は通常食でご飯だった。左右の手が不自由なので食べるのに苦労をした
検尿のため排尿は尿瓶に取ることになっているが、点滴のため頻度は多い。翌朝まで続くことになる
就寝は夕食後すぐの19:00で睡眠はよく眠ったが、採尿のため頻繁に目覚めた
点滴は深夜0:00頃に取り外しになり、左腕は楽になった

(26日目)・・・11/29(木)【2回目の手術の翌日】
朝7:00頃より心電図、採血、検尿、体温、血圧の各種測定を行う。心電図測定では測定記録のチャート紙には「心筋梗塞になった履歴がある」というコメントが出ていた。測定器にはいろんなケースの測定データがメモリーされていて正常値との比較ができるようになっているということを看護師から説明を聞いた
8:30動脈の止血帯も取り外し。9:00過ぎにCCU室より元の4人部屋へ戻った
10:00シャワーOKとなり、全身を洗ってひげ剃りもできた。その後は今までと変わらない1日を過すことで来た。元気な状態でのカテーテル手術は身体へのダメージは極めて少ないことがわかった
夕方に体重測定、60.8kg5kg)。どんどん減少している
就寝は20:00.翌朝4:00頃までよく眠った
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退院の日・・・晴れて退院の日を迎える
11.30(金)…27日目(退院)
お世話になった
循環器科病棟
「ナースステーション」











感謝に耐えない
「名張市立病院」をあとに
(27日目)・・・11/30(金)【退院】
朝9:00、主治医の黒田医師が病室に来られて、2回目の手術結果をフイルムで説明してもらった
右冠動脈の左へ旋回しているところで狭くなって95%閉塞しているところがあり、その個所の治療の状況を、治療前、治療中、治療後の写真で見せてもらった
気のせいか、今朝からは胸のあたりがすっきりした感じがする
術後の症状も大変よいので明日の退院予定であるが、今日でもかまわないとのことだったので、午後から退院したい旨を伝えた
退院後の経過診察は12/28(金)に外来受診と決まる。また、半年後に経過観察の2泊3日の入院でカテーテル挿入して検査を行う
【これからの生活の件】
(1)水分補給は、1日当たり1000cc程度を目安として、夏季は汗を出した分は追加補給する程度と考えること
(2)血圧、コレステロールは特に不具合はないが、今後の生活ではそれなりの心掛けをすること
(3)身体を動かす活動をしたときは適宜休息をとること
(4)ウオーキングは行うこと。但し、退院後体調を整えた段階より始めること。それまでは、ぶらぶら歩き程度で体力を回復すること
(5)ゴルフも体力が回復した段階でOK.。しかし、真冬の厳寒時、真夏の炎天下は避けること。

担当看護師の太田あすみさんから「退院時オリエンテーション」の説明書きをもらう。薬、食事、運動、清潔、排泄についての注意と心掛けが記されていた。また、心優しいコメントも記されていた。ありがとうございました。お世話になりましたことを重ねてお礼申し上げます
入院最後の昼食は蕎麦だった。ゆっくりと味わって少し休んで後、迎えを待って退院。医療費の精算をして、約1ヶ月ぶりに外気に触れて、妻の車に乗って帰宅した

【命を助けてくださった方々へお礼申し上げます】
水無月生のこのたびの急病にあたりましては、多くの方の温かい支援によりまして助けていただけました。心の底から何ものにも代えがたいものと感謝に堪えません
桔梗が丘公民館の職員の方々の親身な救急対応、名張市立病院のドクターの迅速かつ適切な救急治療とその後のきめ細かい治療、ナースの方々の親切で心のこもった看護には、本当にうれしく思っています。ありがとうございました
再びこの世に生をいただけましたことは、このように心を尽くして救命していただきました方々のお陰そのものと思っています。そして、そこに至る数々の幸運を奇跡的に差し伸べて頂いた神仏の力も信じざるを得ません。心からお礼申し上げます
退院の日の午前中に病院から見える四周の風景を写しました。周りの山は紅葉でした【クリックで拡大します】
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退院後のリハビリの日々・・・自宅療養/ゆっくりとリハビリ
12/01(土)12/31(月)

(退院後の1ヶ月は
自宅療養とリハビリ
の日々でした)
昨夜は久しぶりのわが家の布団に入ったのは、やはり19:00過ぎ。そして12/1(土)朝の起床は、これも7:00過ぎ。時間的なものは病院とさして変わらないが、気持ちは「本当に俺は生きているのだな」とひしひしと感じた朝の起床だった。こんな感慨を持ったのはわが生涯で初めてのことだった
初日は何するとなく新聞を読んだり、身の回りのそのままになっているものを片付けたりのぶらぶらの日を過した
さっそくこの日も見舞いの方が訪ねてくれた。病院へ行ったがいなかったので自宅へ来てくれた。気遣いしていただいて本当に感謝しています
結局、退院後の12月中に自宅へまで見舞っていただきました方は19名だった。病院も含めて見舞いしていただきましたのは総数81名になりました。重ねてお礼申し上げます
12/2(日)は恐る恐る外出。家の周りをゆっくりしたペースで10数分散歩

【リハビリ開始】
リハビリといっても歩くことと軽いストレッチ体操をすることで、さしたるメニューがあるわけではない。退院3日後ぐらいから、朝食後に軽いストレッチ体操を10〜15分。そして夕方までの適当な時間にウオーキングをすることがメインとしている
ウオーキングは最初の2週間ほどは30分程度を目標にゆっくりしたペースで歩くことにした。うまい具合にこの時期は娘がお産で帰ってきていたので、妊婦の運動としてウオーキングをしているので一緒に歩くことにした。歩行ペースがゆっくりなのと、ちなみに娘のお産予定日は12/17なので、病あがりの私には調子を整えるには丁度いい具合だった
12月後半には歩く時間を延ばしていって、1時間を目標にするようにした。また、歩行速度も病人の歩き方を止め、健康な人と同じ通常歩行の感じで歩くようにしていった
しかし、長い距離の坂道はやはり心臓への負担が大きく、100mほどを速いペースで歩くと動悸が激しくなり胸がキューっと痛くなってしまう。やはり程ほどを考えなければならないことがよくわかった

【生活パターン】
12月の毎日の生活の過し方は、食事と昼寝そしてウオーキング、その他は新聞を読むこと、TVを見ることと、パソコンの前に座ってWeb siteの閲覧、メール送受信などである
そして、ブログ(ブログ・水無月生)は12/16(日)に1ヵ月半ぶりに再開をすることになった。また、12/26(水)には故郷の天理市柳本にあるお墓へ出かけて、ご先祖に報告とお礼を言ってきました
(日課の概略パターン)
・起床:7:00〜7:30、そして朝食
・朝食後、ストレッチ体操終了すると9:30〜10:00
・朝刊を読んでから午前中はパソコンでInternet & mail、又は、ウオーキング
・昼食12:00より、その後昼寝1〜1.5時間、場合によっては2時間になるときもある ・・・ どうしても午前中の疲れがこの時間になるとでてきて昼寝をしなければならなくなってしまう(この昼寝は年内は勿論、2008/01/末までに至っても同様に続いている。どうしても午前午後ぶっ通しの活動ができないのはまだ体力が回復していないということか。春までには通常の健康状態のようになって欲しいものだと願っている)
・13:30〜14:00ごろ昼寝から覚めて午後の生活に入る。パソコンを使っていろんな作業をしたり、家庭内の雑用をしたり、または午前中にやらなかった場合は午後のウオーキング等で時間はすぐに過ぎてしまう
・17:00過ぎから入浴。18:30より夕食。19:00より30分〜1時間テレビを見ると時間は20:00。
・そろそろ就寝の時間。20:00〜20:30頃には布団に入っている

このようなことで、健康時とはまったく異なった日課になっている。これが病気上がりというものかと思いながら、体力の回復をひたすら待っているという生活状態です

【1ヶ月検診】・・・退院1ヵ月後の経過観察診察
12/28(金)は1ヶ月検診日。各種検査と主治医の診察を受けた
(検査)
・血液・・・T-cho(コレステロール):140Lで問題なし。その他の項目も異常なし
・検尿
・心電図・・・心筋梗塞が最近発症したことがデータ上で示されていた
・胸部レントゲン・・・11/20撮影のものと比較、心臓の大きさが小さくなっていた。心臓肥大が解消ているということらしい
(診察)
・経過の問診と検査結果の説明
・生活指導については特に指示事項なし。今やっていることでOK
・6ヶ月経過観察のカテーテル挿入による検査は夏頃の予定となった
・次回検診日は2/8(金)に決定


1ヶ月検診結果で経過良好との事なので、年末年始は気持ちよく過すことができた
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2008年を迎える・・・1ヶ月の自宅療養を終えて/少しずつ活動開始
2008
01/01(火)〜01/19(土)


(そろそろ活動開始に)
2008年を迎えました。今までとは異なった正月です。12/19に初孫誕生と合わせて、水無月生自身には一度終わった人生がもう一度恵まれたという二重の喜びと感謝の気持ちが交錯するお正月でした
元旦は早朝から桔梗が丘にある「鹿島宮」の元旦祭がありまして、氏子会総代の1人として参列しました。今回の喜びを報告したのは勿論です
1月に入ってから活動を再開を目論んでいましたが、生活パターンは12月までとさして変わりない状態です。起床7:00、昼寝1〜1.5時間。就寝は21:00前後に少しは遅くなった程度。午前午後の通しの活動はまだ出来そうにありません。焦ることなく、このパターンが維持できる範囲内ということでやることにしました
活動再開の第1号は1/10(木)の「万葉の会」1月例会です。公民館で万葉の時代の講座を聴講することからでした。サークルの方々と久しぶりの再会を喜び、心配になったことのお礼を申し上げました
パソコン指導活動再開の第1号は1/15(水)桔梗が丘公民館サークルの「かがやきパソコン」の講座からです。受講者の方々と再会の喜びとお礼、講座を休んだお詫びをしてから、従来通りに講座を進めました。2時間の講座でしたが、帰宅しましたらやはり少し疲労感がありました。まあ、これもこれからは少しずつ解消していくものと思っています
桔梗が丘公民館活動のもう一つのお役目は「公民館運営委員会」です。1月会議が1/16(水)開催でしたので、これにも出席しました。同様に再会の喜びとお礼を申し上げて、無事会議を全うすることが出来ました
また、パソコンの個人レッスンも1/17(木)が再開開始日になりました。このようなことで、この後も順次無理のない範囲で自分自身のおかれている状況を自覚しながら、活動を進めていきたいと思っています
【ホームページ更新作業開始】・・・秋以来の更新中断をいよいよ再開へ
滞っていたこのホームページ/「シニア青年・水無月生」の更新作業は正月から開始しました。まだ療養とリハビリの毎日の中でこの作業にかける時間は相当に少ないという制約がありますが、少しの時間で少しずつというつもりで進めることにしました。更新作業再開第1号はこのページにしました
心筋梗塞で倒れてから多くの人に助けていただいて、また、水無月生の人生後半に近いこの時期に、突然降って沸いたように起こったこの一大事件をしっかりと書き残そうと考えました。そのためにという事もあったのですが、入院中には毎日の出来事をノートに書きとめてきました。このようなことから、「水無月生の闘病顛末記」をここに紹介した次第でした。本当に退屈な長い記事になりましたが、ここまで飽きずに読んでいただけましたことを感謝いたします。心から『ありがとうございました』とお礼を申し上げます
一旦この時点でSiteへのアップを行います。この日以降の記事もこれから出てくるものと思っています。その場合は、引き続きこのあとへ書き足していきたいと思っています。記事がまだまだ続きましたそのときは、再びご覧いただきますようよろしくお願いいたします(2008.01.19)
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6カ月経過・・・順調に体力回復/通常生活はほとんど従来と変わりなく過ごす
2008
05/12(月)〜05/14(水
)
(6か月の経過観察で
検査入院)




















検査後の両腕は不自由な状態で7時間を過ごす
・右腕:動脈はエアー圧迫の止血帯処理

・左腕:点滴

2008/01/中旬より活動再開を行って以降、体力回復を確認しながら少しずつ活動範囲を拡大していきました。2〜3月の時点では、従来の50%程度の活動範囲となってきました
毎日の「昼寝」は欠かさず行っています。そうすることで、1日が快適に過ごせることができます。
4月に1日を通しての生活にもいくつかの挑戦しました。
(1)公民館サークル活動の「万葉の会」例会で吉野を歩くこともしました。山道をサークルの皆さんとともに、従来とほとんど変わることなく快適にウオーキングができたことはうれしいことでした
(2)また、もう一つのサークル活動の「桔梗が丘囲碁同好会」でも、新年度の囲碁大会を1日を通して、6局を対局することができました

日常生活では、他人から見ると心筋梗塞を患った人とは思えない外観・風貌になっています。しかし、体重は60kg(従来比5kg)で、元に戻ることはありません。それと、もう一つの後遺症といえるものとしては、「疲れやすい」のと「息切れが起こる」ということぐらいです
【2泊3日の検査入院】・・・6か月の経過観察の検査入院(05/12〜05/14)
心筋梗塞発症後、6か月が経過しました。いよいよ経過観察です。05/12(月)〜14(水)の3日間、検査入院をしました
検査は、腕の動脈からカテーテルを心臓まで挿入して、心臓の動きと心臓を動かす役目の冠状動脈の状態を観察するものでした。昨年は2回にわたってのカテーテルでの心臓手術を行ってきましたが、今回は検査を目的としたカテーテル挿入になりますが結局3回目の挿入ということになりました
検査が終わって翌日、医師から説明を受けました。説明は心臓の動きを動画撮影したものを、パソコンの画面で見ながら行われます。心臓の動きと動脈の血液の流れが克明に分かる素晴らしい最新技術です
(1) やはり心臓の一部の筋肉が壊死していますので、心臓の動きには部分的に滑らかさがありません。致し方のないことです
(2) また、心臓の冠状動脈の3本中の内の、2本が閉塞していましたので、その部分に留置(挿入)している「ステント」の状態を確認するのが今回の目的でした。部分的に若干狭まっているのがみられます。まあ、それも致し方ないことです
(3) その他の血管にも、狭窄(狭くなる)個所があったり、枝管の先端部分に血液の流れが悪くなっているというのがいくつか見られます
このようなことで、一件落着。予後の大きな山はこれで越えることができました。
いずれにしても、不具合個所があっても日常生活はまずまずの状態で、大きな不自由がない程度に送れるわけですので、喜ぶべきことと思っています。これからも、自身の健康状態を自覚し、病気と仲良くお付き合いしながら、楽しく人生を過ごしていきたいと思っています

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