大和三山

大和盆地に浮かんだ島のような大和三山の『畝傍山』・『耳成山』・『香具山』は
自然が作り出した偶然なのか、あるいは神のなせる業(わざ)なのか、
三山の配置が畝傍山を頂点に二等辺三角形をなした見事な調和の美をかもし出している
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が鎮座する三輪山をお祀りする大神神社境内の
大美和の杜・展望台より大和三山を写しました
左側が『香具山』・中央が『畝傍山』・その右側が『耳成山』
(大和三山を詠んだ万葉歌)
香具山は  畝火ををしと 耳梨と  相あらそひき 神代より かくにあるらし古昔
(いにしへ)
  然
(しか)にあれこそ うつせみも  嬬(つま)を あらそふらしき   ・・・ 《中大兄皇子》

(畝傍山・・・藤原宮跡より展望)
【畝傍山】
畝傍山:標高199m
大和三山の中で最も高い山で、火山が噴出してできた山。山麓には橿原神宮神苑や神武天皇陵の森が広がり、荘厳な雰囲気でより神聖さを感じさせてくれます
畝傍山の麓は、神武天皇が宮を開いたところとされている
(畝傍山を詠んだ万葉歌)
  ・玉襷
(たまだすき) 畝火の山の 橿原の
       日知
(ひじり)の御代ゆ 生(あ)れましし
                    ・・・《柿本人麻呂》

(畝傍山登山口)

(畝傍山山頂)

(畝傍山山頂・・・葛城方面展望)

山頂山口神社跡
(1)

山頂山口神社跡
(2)
畝傍山山頂には昔ここにあった「山口神社」の跡があるが、なぜか2ヶ所になっている。それぞれには社殿の
石碑が残っているが、左の写真の社殿跡は『畝火山口』の碑、右の写真の社殿跡は『殿跡』の碑、というように
石碑が半分に割れて残されている。どちらが本当に社殿跡なのか

なお、現在の社は西登山道口にあり、昭和15年に山頂より遷座されたとのこと
(畝傍山…畝傍御陵前駅付近より) (歴代天皇遥拝所と今は民家が密集して僅かにしか拝めない畝傍山)

(畝傍山…本薬師寺跡より)
         《右の繁みが本薬師寺跡》
畝傍山東麓の大窪寺跡前に櫻児(さくらこ)伝説の「娘子塚(おとめづか)」がある
『昔一人の娘子がいて名を櫻児という。二人の男がいて、櫻児を恋しく思った。命を捨てて競い合い、死も恐れずに争った。櫻児は涙を流して言うには、昔から一人の女が二人の男に嫁ぐということは、聞いたことももない。二人の男の心は鎮めようもない。私が死んで二人の争いが収まるのが一番よいと、櫻児は林の中に入り首を吊って死んでしまった』
二人の男は悲しみに堪えられず、血の涙を襟に流してそれぞれ思いを述べて詠んだ歌二首(万葉集)

  ・春さらば 挿頭(かざし)にせむと わが思ひし
           櫻の花は 散りにけるかも
  ・妹が名に 懸けたる櫻 花咲かば 
           常にや恋ひむ いや毎年
(としのは)

(畝傍山・・・香具山山頂より展望)

(香具山・・・藤原宮跡より展望)

【香具山】

香具山:標高152m
香具山は他の二山と違って火山ではなく、多武峰(とうのみね)山系から延びた尾根が、侵食で残った部分が独立峰に見えるようになった山。風土記では天から降ってきた山との伝承があり、大和三山の中で最も神聖視された山で、そこから「天の香具山」とも呼ばれている。
(香具山を詠んだ万葉歌)
  ・春すぎて 夏来るらし 白たへの 
            衣干したり 天の香久山

                    ・・・《持統天皇》
「香具山」は呼び名の通り、神が天降る山と信じられていたということで、山麓には「天の岩戸神社」や「天香山神社」があり、山頂の「国常立神社(くにとこたち神社)」には国常立神と竜神が祀られている。そして、「天の香具山」は天皇が国見をする場でもあったのです
(香具山…藤原宮朱雀大路跡より)

(香具山・・・西南面)
《国常立神社》(くにとこたち神社      祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)

(国常立神社)

(雨乞いの壺)
天地開闢(かいびゃく)とともに現れた国土形成の神で、雨の竜王と称され、竜王神/たかおおかみを祀っている。社殿前の向って右側に、水をたたえた壺が埋められていて、古来より干天の時にはこの神に雨乞いを行って、壺の中の水を替えることで降雨に恵まれるという。しかし、それでもまだ雨の降らない時には、この社の灯明の火で松明を作り、村中を振り歩いたとのことです

(香具山・・・本薬師寺跡より/左の繁みが本薬師寺跡)

(二上山…香具山山頂より遠望)

(天香山神社)
《天香山神社》 
延喜式には、香山坐櫛真命神社(かぐ山におわすくしまみこと神社)とし、元は大魔戸乃神社(おほまとの神社)と言ったとしている。本殿うしろには、三つの屏風のような巨石があり、神の依代としての磐座となっている。
境内には、「波波迦の木(ははかの木)」がある。いばらの木で朱桜(にはざくら)、うわみずざくらとも言われる。古事記によると、この木の皮で香具山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったとあります。平成2年に宮中の大嘗祭での亀占に、この波波迦が奉納されているとのことです
           (右写真:波波迦の木)

【耳成山】

耳成山:標高140m
大和三山の中では最も均整のとれた円錐状の美しい姿をしている。元々は火山でもっと高い山であったが、盆地の陥没で沈下して山の頭部だけが残ったらしい。人の顔にたとえて、耳が無いように見えるので耳無山→耳成山と呼ばれるようになったそうです
(耳成山を詠んだ古今和歌集)
 ・耳無の 山のくちなし 得てしがな
       おもひの色の 下染(したぞめ)にせむ
                   ・・・《詠み人しらず》

(耳成山…香久山より展望)

(耳成山/南面)

(耳成山…畝傍山山頂より展望)

(耳成山…藤原京朱雀大路より遠望)

(耳成山 …上つ道・巻向JR陸橋より写す)
《左側の山は畝傍山》
   
          (耳成山口神社)
祭神:高皇産霊大神(たかみむすびおおかみ)
    大山袛大神(おおやまみつのおおかみ)
耳成山は盆地のどこからでも良く見えるので、古代より神体山として仰がれ、山に坐す神が天つ神であることから、人々は天神として山麓から拝んでいました。天神は農耕神であり、水の神です
耳成山にも悲恋物語が万葉集にあります。山麓にかってあったと言われる耳成の池にまつわるヒロイン、縵児(かづらこ)の伝承物語です
『昔三人の男がいて、同時に一人の娘に求婚しました 娘子は嘆いて言うことに、「私一人の女の身は消えやすい露のようにはかなく、三人の男の心の和らげがたいことは、石のように堅い」そして池のほとりをさまよい歩いて、池に身を投げました』男たちはあまりの悲しさに堪えられず、それぞれ思いを述べて詠んだ歌が三首(万葉集)
  ・耳無の 池し恨めし 吾妹子が 
          来つつ潜かば 水は涸れなむ
  ・ あしひきの 山縵の児 今日行くと 
          吾に告げせば 還り来ましを 
  ・あしひきの 玉縵の児 今日のごと 
          いづれの隈を 見つつ来にけむ

(縵児・かずらこの万葉歌碑/耳成山公園古池)