三輪山

三輪山は古来より神の鎮まります山として、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、
三諸岳(みもろのおか)と『古事記』や『日本書紀』には記されている。
山には大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が鎮座する神体山として信仰され、
三諸の神奈備(みもろのかむなび)といわれている

(三輪の西・上ノ庄付近からの三輪山)
【三輪山神婚説話】
(日本書紀崇神天皇の条より)
崇神天皇の祖伯母にあたる、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の妻となりました。その神は夜になると姫命を訪ねて来て明け方前には帰ってしまいます。姫命は夫の神に「あなたはいつも昼間にお越しにならないので、お顔を見ることができません。どうか夜の明けるまで居てお姿を見せて下さい」と願った。
大神は答えて、では「明日、あなたの櫛箱に入って居ります。しかし、私の姿を見て驚かぬよう」と言いました。

姫命は朝のくるのを待って櫛箱をあけると中に美しい小蛇がいたので「アッ」と言って驚きました。そうすると大神は人の姿に戻り「よくも私に恥ずかしい思いをさせてくれた」といって三輪山に帰ってしまいましたので、姫命はたいへん悲しみ、ばたっと座り込んだときのはずみに箸で陰処(ほと)を突いて亡くなられました。
亡骸は大市(おほち)に埋葬され、人々はこの墓を 箸墓(はしはか)と呼びました。この墓は昼は人が作り夜は神が作ったと言われています。

(大美和の杜・展望台より)

(久延彦神社・遥拝所より)
三輪山は、高さ467m、周囲16km、南は初瀬川、北は巻向川の2つの川に囲まれている。山の中の木々草々の全てに神が宿るといわれ、古代の昔から一切、斧をいれることをせず、大樹に覆われた神の鎮座する山、神名備(かむなび)とされている。
山中には「奥津磐座」「中津磐座」「辺津磐座」の磐座が鎮座し、「大物主命」「大己貴命」「少彦名命」が鎮まるといわれている。
山麓一帯には大きな古墳が点在し、大和政権の初期の三輪王朝が存在したと考えられている。その代表的なものは柳本古墳群では第10代の崇神天皇陵・第12代の景行天皇陵、纏向古墳群では箸墓(大市墓)がそれを語りかけてくれる。『魏志倭人伝』にある邪馬台国の女王卑弥呼の墓はこの箸墓であることを期待したい。

(大神神社・大鳥居より)
【三輪山をいろんなところから撮影しました。どの角度からでも美しい姿を拝むことができます】

(国道165芝付近より)

(芝公園・額田王万葉歌碑より)
『三輪山を 然も隠すか雲だにも   
     心あらなも 隠さふべしや』

(箸墓の向うの三輪山)

(箸墓・礼拝所南側から)

(ホケノ山古墳頂上より)

(国津神社より)

(上つ道・箸中の巻向川付近からの三輪山)
(06.11.18)