纏向周辺

纒向遺跡は、ここに古代の都市があったことを彷彿とさせる。邪馬台国の存在ここにありでしょうか。
大和盆地の西から望むと箸墓の美しい姿とその向うに見える三輪山の荘厳さが迫ってくる。

【箸墓古墳・倭迹迹日百襲姫命大市墓】
全長272メートルの前方後円墳。
墳丘は5段築成
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の御墓

日本書紀には
「昼は人が造 り、    
    夜は神が造った」、
「倭迹迹日百襲姫を   
   大市に葬 る」と。

魏志倭人伝では卑弥呼の没後
「大いに冢を作る、径は百余歩、
旬葬する者は奴婢百余人」と。

(箸墓古墳の左後ろは三輪山)
     

   
【九日神社】
箸墓古墳のすぐ南に、
       この小さな神社が鎮座している。
祭神は
 多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
 狭依理比賣命(さよりひめのみこと)
 多紀津比賣命(たきつひめのみこと)

ご神体は、右に「陰石(女石)」、左に「陽石(男石)」
が仲良く並んでいる
この神社は何を語りかけているのだろうか

この神社、箸墓古墳のすぐ南であり、東側には「三輪山」が、そして西には「二上山」。真東の「三輪山」から太陽が昇るときは真西の「二上山」へ沈む太陽の道に位置している。また、真昼には南からの太陽の光を受けて北側の箸墓を拝むことができる。
これをどのように思ったらよいのだろうか。なんとも神秘に感じないではいられない。私は、『太陽の道・聖なるところ』と『夫婦円満、子孫繁栄』の祈りがあると思いをめぐらせている。
「三輪山」から日が昇るのを拝めるところ、つまり朝日(旭)のいずるところ、それが九日神社となったと思う。それにつけて、この神社の祭りは10月9日、これは『十つき十か』の前日。新しい命の無事の誕生を願ったのかもしれない。想像をめぐらせればロマンはいくらでも広がってくる。
また、撮影したときに偶然とはいえ陰石に木立の間から陽の光が射していたのも一層神秘さを覚える。
(石灯篭を通してご神体の向うに小さく見える茂みが箸墓)