万 葉 の 会・月 例 歩 き 録 | |
例会日 | 2007年09月06日(木) 曇りのち雨 |
行 先 | 近江・蒲生野 |
ルート | (五個荘観光センターバス下車)ー金堂散策(五個荘・近江商人屋敷町)-八日市・市神神社/額田王歌碑-船岡山・万葉の森/(昼食)/蒲生野万葉歌碑-山部神社・赤人寺/赤人歌碑-(バスで帰路) |
【近江・蒲生野】
9月例会は、五個荘・近江商人屋敷の見学、市神神社/額田王万葉歌、船岡山・万葉の森/額田王万葉歌・大海人皇子万葉歌、山部神社/赤人万葉歌を学んで歩くでした |
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歩き始めは寺前・鯉通りの「弘誓寺(ぐぜいじ)」。豪商の町にふさわしい立派な構えのお寺でした 【弘誓寺(ぐぜいじ)】真宗大谷派寺院。那須与一の孫・愚咄坊(ぐとつぼう)の開基。1764年建立。表門の鬼瓦には那須与一の扇の紋がある |
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(1)「外村繁邸」(とのむらしげる)…湖国の作家・外村繁の生家 (2)「外村宇兵衛邸」(とのむらうへい)…五個荘商人の本家邸宅 (3)「中江準五郎邸」(なかえじゅんごろう)…戦前の百貨店王の旧邸宅 この地域は重要伝統的建造物保存地区に指定されていますので、独特の雰囲気の景観を楽しむことができます。また、商家に残された数々の道具類、座敷、日本庭園などは歴史的な価値を存分に味わうことができます |
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(屋敷の台所に「妻女心得條」なる面白い展示物があった) ・雌どり暁を告げざること ・お佛供米朝夕欠かさず妻女勤めなり ・一粒の米粗末にならざること ・主人下帯我が湯巻類必ず自分にて洗うこと ・午前中女中に小言いはわざること ・酒燗熱からず温かからず妻女勤めなり |
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(庭に「切支丹灯篭」がありました) ・何故この屋敷にこの灯篭があるのか、明治時代ではキリスト教も許されていたのに。多分どこから買ってきたのでしょうね ・灯篭の形状は十字架を、竿(さお)の部分にマリア像を象徴した地蔵さんが彫られ、切支丹灯篭といわれている。隠れキリシタンが、表向きは地蔵さんとして、ひそかにマリアに祈りを捧げていた |
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・屋敷内には五個荘の郷土玩具・小幡人形と全国の土人形が展示されている (屋敷の見学で「五個荘商人」について興味深く聞きました) ・近江商人とは…近江八幡、日野、島、五個荘の4つの町の商人をいう ・五個荘商人の全国での活躍の話 ・経営理念…三方よし(売手によし、買手によし、世間によし) ・商売の精神…不撓不屈・勤勉・倹約・正直・堅実でが基本。 各家には家訓が残されている ・人事管理…丁稚制度(雇った丁稚から才能あるものを見い出すのは妻女の役目) |
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「五個荘」の商人屋敷町の水路の流れの中に、あちこちで草が植えられています。あるところでは、何かを祀っているかのように花が竹筒に飾られていました。用水路には錦鯉が放し飼いになっているらしいのですが、この日はお目にかかれませんでした(台風襲来の影響で避難させたのかもしれない) | ||||||||||||||||||
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五個荘を後にして再びバスに乗車、時刻は12:00少し前。10分ほどで、次の学習ポイント八日市の「市神神社」に着きました。ここでは「額田王万葉歌碑」を詠むのと、神社拝殿にある「額田王立像」を見せていただくことでした。湯浅先生が事前に予約をされていたのですが、何故か神社の管理の人が不在で開扉がかなわず、扉の格子越しに覗く程度になりました。写真は格子の間からなんとか撮影できました 歌碑の前で全員そろって「額田王万葉歌」を朗詠 |
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市神神社から再びバスに乗車。10分ほどで阿賀神社に12:34到着。この神社の奥が「船岡山・万葉の森」。神社境内で昼食をとることにしたが、このころから雨が降ってきた 万葉歌の大海人皇子と額田王が「蒲生野」で詠ったのがこの地になる 大津京から天智天皇とそれに従った大宮人たちが、蒲生野へ薬猟に出かけた。男は弓矢で鹿や猪など獲物を狩り、女性は紫草などの薬草を摘むことで野遊びを楽しんだ。この時の宴席で大海人皇子と額田王とが交した相聞歌が万葉人の恋物語として、私たちに語り継がれてきている 昼食後、雨の中を万葉の森の「歌碑道」を登って「蒲生野万葉歌碑」へ。歌碑の前では「額田王」と「大海人皇子」の万葉歌をみんなで一緒に朗詠 丘の上からは蒲生野が一望できるところであるが、樹木と茂みが繁茂していておまけに雨なので、梢の間から垣間見る程度になった |
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山部神社・赤人寺は神社に山部姓を、寺には赤人名を用いていて、同じ敷地内にある。蒲生・下麻生は万葉歌人・山部赤人が生涯を閉じた地 ・「山部神社」は赤人を祭神としている。本殿は室町末期の建立 ・「赤人寺」は赤人が蒲生野へ遊歴した際、冠を木に掛けたのがなくなったので、一夜をここで過ごすことになった。その夜「この地こそ仏法興隆の勝地なり、この地に安置すべし」の夢のお告げがあり、この寺が創建された。鎌倉後期の建立。冠をかけた木は「冠掛けの桜」と伝えられる ・「七重石塔」は赤人の冥福を祈った「赤人供養塔」 |
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14:45頃、山部神社・赤人寺をあとにして帰途につく。桔梗が丘へは17:30頃帰着した。 皆さんお疲れさんでした |