万 葉 の 会 ・ 月 例 歩 き 録
例会日 2006年5月11日(木)  曇り
行  先 纒向と上ツ道
ル ー ト 纒向石塚古墳-(上ツ道)-人麻呂邸跡-ホケノ山古墳-国津神社-箸墓古墳-(上ツ道)-芝織田陣屋跡-慶田寺-額田王万葉歌碑-桜井埋蔵文化財センター
【纒向と上ツ道】
 今回もまた、前夜は雨。幸い当日朝はきれいに上がり爽やかな日になるのは間違いなし。桔梗が丘駅でいつもと同じく人員点呼の後、8:41発急行乗車。桜井でJR桜井線に乗り換えて巻向着。
 メクリ1号墳跡地で当日の行程説明の後、「纒向石塚古墳」へ。纒向古墳群の中の有名な古墳の一つ。また、ここから東南には箸墓古墳の美しい姿がよく見える。(写真右下:纒向石塚古墳)
講師の湯浅先生の説明要約に私のロマンを付け加えます『築造時期は古墳時代初頭(3世紀初め)、纒向遺跡の古墳の内でも最も古い時期のものと思われる。墳形は前方後円墳、全長96m、前方部長約32m・幅約34m、くびれ部幅約12.8m、周濠幅約20m、葺石・埴輪無し。現在の姿は、第二次世界大戦中に高射砲陣地設営のため、埋葬施設と共に墳丘の上部が大きく削平されてしまっている。またこの辺り一帯は纏向遺跡であり、このほかの矢塚古墳、勝山古墳、東田大塚古墳などのたくさんな古墳と発掘された多くの土器類、纏向大溝などは邪馬台国であった可能性の夢を膨らませてくれる』
 纏向石塚を後に東に進み上ツ道へ出て、辻地区のJA事務所のところに柿本人麻呂の屋敷があったと伝わるところを見物して更に東へ。集落を過ぎると田園地帯、巻野内石塚古墳の前で説明を聞き西の方を振り返ると雨上がりで澄んだ空気の中に、二上山を素晴らしい眺めで望むことができた。
    (柿本人麻呂屋敷跡)          雨上がりの空の二上山/このようにくっきり見ることができるのはまれ
  
 一行は歩を南に向けるともうそこは「ホケノ山古墳」だ。
桜井市埋蔵文化財センターパンフレットよりの要旨『全長80m、後円部は三段築成、径55m、前方部長25mの前方後円墳。埴輪は持たない。纏向遺跡の中の纒向型前方後円墳の中で唯一の葺石を有する。築造時期は3世紀中ごろ。埋葬施設は前方部東斜面と公演部で検出されている。前方部の埋葬施設は、古墳完成後に葺石をはずして木棺を据えている。出土遺物は二重口縁壷等のほか画文帯神獣鏡と破片化した内行花文鏡、鉄製刀剣類・農工具・銅鏃・鉄鏃などが出土』
全員上に登って古墳の感触を味わうと共に、周囲を見物。東の三輪山、西手前に箸墓、西向こうの二上山を眺めて下山。そして、古墳を背景に班毎の記念撮影。
(ホケノ山古墳)
  
 (ホケノ山から見た三輪山) (ホケノ山で 5、6班)
 ホケノ山のすぐ西には「国津神社」がある。ホケノ山に葬られた方のお祀りと深く関連しているように感じるのは私だけではないと思う。また、ここでも国津一族の大和朝廷との深いかかわりも感じられずにいられない。
 再び上ツ道を横断して「箸墓古墳」へ。圧倒されそうな大きさの古墳の南側の美しい曲線に沿って歩いていくと、西側にあるお墓の礼拝場に出た。
『前方後円墳、全長280m、後円部径155m、前方部長125m、前方部前面巾147m。墳丘のほとんどは葺石で覆われ、特に後円部はびっしりと敷かれている。被葬者は「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」。お墓の名前は、大市墓という。天皇でないので御陵とは呼ばない』
 記紀に書かれている三輪山の大物主神との間の話は興味をどんどん広げてくれるのと、なぜ、天皇でない皇女の立場の姫命がこんなに大きな墓に葬られているかという疑問がますますロマンをかきたててくる。崇神天皇の祖伯母に当るというこの姫命は、時代的にも卑弥呼と重なってくる。
   
(箸墓古墳・「倭迹迹日百襲姫命」大市墓礼拝所)       (箸墓墳丘の南側の曲線美をご覧ください)
  
 箸墓古墳からまた、上ツ道に出て、次の学習ポイントは「芝織田藩陣屋跡」へ進む。途中箸中の町なかで陣屋の外堀の名残を確かめて、いまは織田小学校になっている陣屋跡を一回りした。小学校の正門は陣屋門を模した立派な作りななっているのと、その脇に桜井市の歴史街道の説明板があるのが、ここに陣屋があったことを示していた。
『信長が本能寺で討たれた後、織田家はばらばらになって消滅していきそうになったが、信長の弟、織田有楽斎は秀吉・家康に上手に仕えてお家存続を果たしている。この芝の地は後に戒重にあった陣屋から場所替えをしたもので、江戸の藩屋敷が芝にあったことからこの地の名前を岩田村から芝村に改められている。また、有楽斎は茶人としても道を極め利休七哲の一人に数えられている。東京有楽町は、有楽斎の住居があったことに由来していて、数奇屋の茶室があったことから数寄屋橋という町名も残っている』
 織田陣屋から西へ「慶田寺」に向かう。道すがら「九日神社」の横を通ったので、ここで少し私がこの神社の知っていることの説明をしてお寺に入った。時間は13時近くになっていた。湯浅先生が事前に計らっていていただいたお陰で、お寺の境内を借りてみんなで昼食。「慶田寺」は芝織田家の菩提寺。お寺の正門は、織田の陣屋門を移築したもので立派な姿を残している。昼食後、境内にある織田家代々の墓所を拝む。
    
(慶田寺にある織田藩陣屋門)           (慶田寺内の芝織田家墓所)
  
 次は、芝運動公園の「万葉歌碑」、三輪山を背に額田王の歌が実にうまく調和して建てられている。
  三輪山を 然も隠すか雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
全員揃って詠じてから、歌碑を囲んで記念撮影をした。
       
(額田王の万葉歌碑)                  (歌碑を囲んで5,6班)
  
 最終の学習ポイントの「桜井市立埋蔵文化財センター」では、職員に説明をしていただいて纏向遺跡の知識を深めることができた。ここは何度か訪れているが、このように説明をしてもらったことはないので、あらためて湯浅先生のお世話に感謝でした。
これで本日の例会はおしまい。
バスに乗る人の数名と別れて大半は桜井駅までの1.5kmを歩いた。
歩き始めてすぐ、大神神社の大鳥居からの三輪山は、この日は実に美しい姿を拝むことができた。
本日の全コースは約7km。桔梗が丘へは、16:30頃帰着。
この日も楽しく1日を過せました。