別名・名張城といわれ、津・藤堂藩本家の藩内領主名張藤堂家の居館だったところです
藤堂高虎の養子だった藤堂高吉が1636年名張に移封となり、名張藤堂家の初代藩主となった

 名張藤堂家の初代藩主藤堂高吉は織田信長の重臣丹羽長秀の三男。幼い時に豊臣秀吉の弟豊臣秀長の養子となったが、その後、藤堂高虎の養子となる。
 1608年伊予今治城主だった藤堂高虎は伊勢・伊賀二国の領主となり、養子の藤堂高吉は今治城主を引き継ぐ。1635年高吉は伊勢2万石を与えられたが、1636年名張に移り名張城内に居館を構えた。高吉は当初は藤堂家の嫡子のはずだったが高虎に実子が生まれたので、廃嫡となり名張藤堂家2万石の初代藩主となったものの藤堂本家の家臣の身分に格下げとなり、高吉の運命は大きく変わってしまっている。
 名張藤堂家は、11代続いて明治維新を迎えている。
(藤堂屋敷正門) (藤堂屋敷外観)
 藤堂屋敷は名張市街の中心部の小高い丘の上に築かれていた。藤堂高吉は今治から名張に国替えとなったときに、300人余りの家臣や商人を引き連れてきて、新しい城下町建設を進めた。当時の屋敷は天守閣はないものの城郭に匹敵する広大な武家屋敷を構えていた。家臣の屋敷と商人の家並みが藤堂屋敷の周りを取り巻き、伊勢街道の宿場町として大いに賑わった様子がいまも名張の町並みに残っている。
 現在ある藤堂屋敷は当時の私的な生活を送った建物の一部が残っているのみ。
(藤堂屋敷・玄関) (藤堂屋敷・外庭)
  
壽栄神社(ひさかじんじゃ)
名張藤堂家伝来の具足が寄進されている
藤堂屋敷の太鼓門
壽栄神社に移築されている